大正スピカ-白昼夜の鏡像-|第8話|再会
「大丈夫?」
「大丈夫。ありがとう、助けてくれて」
衣織は、耳に手を当てながら、國弘に礼を言った。
二人は、御手洗川に映る自分たちの影を見ていた。
しばらく沈黙が続く。
お互いどう切り出せばいいか分からず、時間だけが過ぎていく。
そして、衣織が、今にも消えそうな声で話を始めた。
「私、本当は自分の未来も見えるの……。私は、これからどう生きようと、殺される運命にある……」
「自分が死ぬのを分かって生きるなんて、そんな……」
「私は、生まれてきてはいけない人間なの。どう足掻いても、いずれ誰かに殺される……」
國弘は、衣織の言うことが信じられなかった。
「もし、それが本当の事だとしても、僕は信じない。これから修行して、必ず君を助ける。そのために、これから三年間、中国へ行ってくる。それまで、待てるか?」
これに対し、衣織は、待つと返事をした。
こうして、國弘は、来年から中国へ修行に行くことを決めた。
八咫烏の一員となるべく学ぶ日々。
それは、衣織の運命を変えようとしていた。
翌年、大人たちと一緒に舟に乗り込み、一人、中国へ向かった國弘。
人のために生きていく。
そう誓った彼の背中に一切、迷いはなかった。
國弘は、中国の江蘇州という場所に降り立った。
巨大な運河に沿って街が続いている賑やかな場所。
その運河を北に進みながら、いくつも山を越え、『徐福史伝』と書かれた寺に辿り着いた。
國弘は出発前、正篤からこう告げられていた。
「中国には、古来より神仙思想という道教が存在する。天文学・占星術・祈祷・呪術、様々な分野を極めて帰って来なさい」
寺の番人に、正篤からの勧めで訪れたと伝えると、そのまま寺の中へ案内された。
國弘と同じぐらいの若い坊主頭の男性が、座禅を組み、お経を読んでいる。
よく見ると、寺の造りが下鴨神社にそっくりだった。
案内された二つの本殿も、下鴨神社と同じ。
右側の本殿へと案内された國弘は、壁に描かれた絵に目が止まった。
天井には、太陽と鳥が描かれており、反対側には、北極星とベガ座が描かれている。その真ん中には、光で結ばれるように照らされた女性の姿が描かれていた。
國弘は、三本足が描かれた鳥と太陽の壁画が気になって仕方がなかった。
この絵には、何の意味があるのか。
その答えは、目の前に置かれていた書物の中にあった。なぜか、全て日本語で書かれている。
「鳥は、朝、囀りをすることによって、太陽を呼び出している」
「鳥は、天と地の橋渡しをするために、上空を行き交っている」
かつて、太陽が消えた夜は、真上に北極星が輝いていた。
しかし、現在、その北極星がベガ座にずれてしまっているため、天と地に繋がりが持てなくなっている。
その影響で、太陽に黒点が現れた。
つまり、太陽に陰が現れ始めたのだ。
中国神話に登場する仙女、西王母に仕える霊鳥と考えられていたのが、三足鳥。
そして、神仙思想に天文学を合わせ、占星術を解いたのが、易経である。
西王母は、そこに八神の命を吹き込んだ。
天主、地主、兵主、陽主、陰主、月主、日主、四時主。
この寺は、天照大神と八咫烏の原形が見られる、非常に重要な場所だった。
日本語に翻訳したのが正篤であると伝えられ、さらに、彼が中国で学んだことを書き記した大量の書物が渡された。
宇宙の成り立ちから地軸のずれ、現代の仕組みや人間の成り立ちなど、あらゆる物事を読み解く方法が事細かに書かれていた。
ここで祈祷をすることで、きっと衣織の運命は変えられる。
國弘は、そう信じていた。
次の日、國弘は頭を剃り、長い修行の道へと進んだ。
時には山伏となり、見知らぬ山を駆け巡り、時には川へ入り、身と心を一体化させ、天との繋がりを持つ光となるべく、自身の霊格を上げるための修行に励んだ。
3年後、國弘にある変化が訪れた。
目を閉じているにも関わらず、周囲の状況がはっきりと見えるようになったのだ。
さらに、その場所に留まらず、遠く離れた場所や天地まで見ることができるようになった。
それから、國弘は、彼女の運命を変えるべく、祈祷を何ヶ月もかけて行い、神に祈りを捧げ続けた。
16才になった國弘は、中国での修行を終え、日本へ帰ってきていた。
國弘はその足で、下鴨神社ではなく、別の場所へと向かっていた。
懐かしくも重苦しい場所。
國弘が向かったのは、実家だった。
また怒られ、殴られても構わない。
ただ一言、これまでお世話になったことを父に伝えることができれば、それでよかった。
國弘は、修行を経て、自身の心に対する執着がなくなっていた。
相変わらず少し傾いている表札を両手で直し、玄関を開けた。
「只今、帰りました! 父上、いらっしゃいますか?」
「はい……」
女性の声が聞こえた。
すると、一人の男性が姿を現した。
國弘を見た瞬間、一瞬、戸惑う様子を見せた。
「國弘、お前……生きてたのか!?」
現れたのは、一つ上の兄だった。
「……兄上……お久しぶりです」
「父上! 國弘が帰ってきたぞ!」
兄が呼ぶと、父親が袴姿で奥からゆっくりと出てきた。
「やはり来たか……國弘」
想像とは違う反応だった。
「國弘、全てだ……全てにおいて、お前はいつも、兄より一歩遅い。お前は、どう足掻こうが、ここの人間にはなれない。そう仕組まれておる。分かったら、さっさと帰るがよい」
10年の月日が流れても、父親との確執は変わらなかった。
全てを悟った國弘は、父親に感謝を告げ、帰ろうと考えた。
その時、兄の後ろから、一人の女性が現れた。
「國弘、紹介する。妻の衣織だ」
その女性は、衣織だった。
兄から紹介されながら、何も言わず、俯きながら國弘の前に立つ衣織。
その瞬間、國弘は、全てを悟った。
父親が自分にだけ厳しかったのも、父親から貰った賽が偶然正篤と同じだったのも。
最初から仕組まれていたのだと。
10年間、離れて暮らしていた間のことも、父親は全て知っていた。
正篤が、父親に、國弘の行動を全て知らせていたのだ。
國弘を八咫烏の一員にするために。
國弘が、彼の呪縛から抜け出すことは許されなかった。
これは、運命でも何でもない。
衣織は、唇を噛み締めたまま、顔を上げることはなかった。
衣織を見て、國弘はこう言った。
「父上、兄上、短い間でしたが、お世話になりました。そして、衣織さん……どうか、お体に気をつけて。兄上をお願いします。それでは、失礼いたします……」
最後まで、衣織が顔を上げることはなかった。
門を出て、深く一礼すると、修行で煩悩を減らしたはずの國弘の目から、湧き上がるように大量の涙が溢れた。
國弘は頭を下げたまま、しばらく、顔を上げることができなかった。
そこから中々離れることができない。
そのまま膝から崩れ落ちた。
國弘は、何のために修行を重ねてきたのか分からなくなった。
すると、誰かに肩を叩かれた。
國弘は、その人物の顔を見ることもなく、泣きながら肩を持たれ、そのまま実家を後にした。
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