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歴史って、後から書き換えられる方がホントに正しいの?🌈

今日は歴史についてです。

皆さんは何となく、

テクノロジーが発展すればする程、歴史は後から変わっていくのが当然


だと思っているかと思います。

勿論、私もそう思っていました。

だけど最近、この考えが変わりつつあるのです……

例えば、たった10年前の歴史では、人間の始まりは、約400〜200万年前に現れた猿人だと言われ、

アウストラロピテクス

が最古でした。

でも近年では、もっと昔だったことが判明し、

約700〜600万年前に、

サヘラントロプス・チャデンシス


という猿人が発見されたのです。

もう、覚えれないですよ、こんな名前……


そしたらこのままいくと、また10年経てば数100年単位で歴史が変わり、古い考えが更新されていきそうですね。

ただこれは化石化した白骨による歴史の更新です。

なので、更新されても当然かも知れませんが、

記述書とかはどうでしょうか??

今もなお記述書の発見が数多くあり、後からどんどん更新されています。

勿論、当時の人でしか本当の事は分かりません。

ただ、これこそスピリチュアル的に読み取ると、

「その年代に生きていた人が書いた記述書を、後から書き換えている」

とも取れるんです。

これは、私もそう聞いた時にハッとなりました。

確かに、当時その時代を生きていた人が書いた記述書を、

現代の歴史との辻褄合わせで書き換えている可能性が非常に高いんです。

特に子供達に教育として教え込んでますから、たった一つの記述のせいで歴史が全部変えないといけなかったりしちゃいますので。

それを踏まえて、今私達が書いているこのnoteに置き換えてみると、

今私達が書いているこのnoteこそ、正に現代の記述書なんですよ。


その中で私みたいな人間が、目に見えない世界を記録していたりします。

例えばこの数々のスピリチュアルな事実を、100年後に誰かが見て歴史がひっくり返ったり、

もしかしたら、見えない世界が歴史的に認められて、

「よく当時の人はこの時代に気がつけたなぁ〜」


とか言われるかも知れません。

そして反対に、

「こんなん知られたらまずい」

と、誰かに思われたら記事を消されたり、今後はA Iで書き換えられる可能性もあるんですよ。


やっぱり私の記事なんていくらでも誰かに書き換えられますね、いつかは……

まぁ、証明出来ない記述なんてそれが当たり前かも知れません。

これは今のうちに巻物📜にでも書いて、屋根裏にでも保管しといた方がいいのかもww

皆さんは歴史って、後から書き換えられる方がホントに正しいと思いますか?🌈

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