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シルクの歴史を紐解く🌈

シルク(絹)は、カイコ(蚕)が吐き出す繭(まゆ)から作られる天然繊維です。

カイコを育てて繭を取ることを『養蚕(ようさん)』といいます。

養蚕は、紀元前6000年頃、中国の黄河(こうが)や揚子江(ようすこう)の流域で、野生の昆虫『クワコ』を家畜したことが始まりとされています。

紀元前1000年頃からは、一般の農家でも養蚕を行うようになりましたが、採れたシルクは当時、宮廷にすべて献上されていたそうです。

実は、日本にシルクが伝わった明確な時期に関しては、未だに分かっていません。

ただ、シルクロードが出来る遥か昔、弥生時代の遺跡からシルクの織物が出土されていることから、弥生時代にはすでに伝来していたと考えられており、日本でも高級品として扱われていました。

奈良時代になると、養蚕は、北海道と東北を除き、日本全国で行われるようになります。

この頃から、シルク製品は、貴族たちの服に使われる高級素材としての扱いをされていました。

そして、長年の研究の末、江戸時代中期には、日本のシルク製品は、中国のシルク製品に引けを取らない、上質なものへと進化をしていきました。

江戸時代後期から製糸の機械化が始まり、明治時代になると、日本の養蚕業と製糸業は最盛期を迎えます。

ちょうどその頃、世界にあるシルクの産地で、カイコの病気『微粒子病』のパンデミックが起こり、世界の養蚕業は壊滅的なダメージを受けました。それにより、パンデミックの影響を受けなかった日本のシルク製品の需要が上がり、輸出量が急激に増えます。

そこに目をつけたのが、フランス政府でした。武器と引き換えにシルクを要求してきたんです。

それほど、日本産のシルクは、当時から品質が高かったということです。

需要の拡大に伴い、明治政府も養蚕業と製糸業を推進し始め、関東地方と中部地方を中心に、近代的な製糸工場が次々と創業しました。

日本の製糸産業で一時代を築いた『富岡製糸場』が生まれたのもこの頃です。

1900年頃、日本は、世界最大のシルク輸出国となりました。

当時、国内の農家の約4割が養蚕を行い、その生糸で稼いだお金で設備を近代化していき、製糸産業は、日本の主要産業と呼ばれるまでに成長しました。

しかし、1930年頃にアメリカを皮切りに世界中で起こった深刻な世界恐慌、1940年頃から始まった第二次世界大戦、さらに、低価格で大量生産が可能な化学繊維の誕生が追い討ちをかけ、生糸の需要は急激に落ちていきました。


現在の日本の養蚕農家は約500戸を下回り、シルクの生産量は最盛期の約1割程度。

しかし近年、シルクの価値が見直され、世界中でシルクの需要が拡大し始めています。

昔からの生産大国である中国に加え、インド・ブラジル・ウズベキスタンなど、シルクの産地では生産量が増えているんです。

そして今、再び、洋服から和服の時代が来ると言われています。

これから日本でも、伝統文化が盛んになると予想されており、その魅力の見直しが、急ピッチで行われています😌

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