致死量の白湯を飲む
久々に連休なので、好きな音楽について考えてみる。好きなバンドはハンブレッダーズと、SEKAINOOWARI。もっと他にもたくさんたくさんあるけれど、私の人生を彩ってくれた大きな存在は彼らなので、人生において優先順位がとても高い。
ハンブレッダーズの音楽で、いちばんを私はずっと決められない。どれも、全部、大切で大好きだ。だから、毎日好きな曲が変わる。野音のあとらしばらくグーしか聴いていなくて、今はビートアディクションばっかり聴いている。起きろ!も大好きだし、結婚式ではプロポーズをかけるって決めている。相手はまだいません。ハンブレッダーズに出会って私の人生はとても変わった。変わったというか、これまでよりも私を愛してあげられるようになった気がする。出会ってくれてありがとねありがとう、ありがとうハンブレッダーズ。私の人生に、たくさん、確かな光をくれて本当に本当にありがとう。ハンブレを通して出会えた人もいます、ハンブレを好きな私と関わってくださる方もいます、うれしいです。私の好きなバンドを認識してくれる友達も、大好きです。私の思考や生き方はわからなくてもよい、理解できなくても良い。だけど、私がハンブレに救われて今を生きていることを、私は大切な人に知ってもらいたいと思う。これは大きな夢で理想で願望だけど、大切な人を全員ハンブレのライブに連れて行って、ライブハウスで私がどれだけ笑顔で楽しそうで生きていて良かったと思えているのかを、隣で見ていてもらいたい、などと思ったりしている。キモすぎなんだけど、ガチで思います。自覚がある、私は多分ライブハウスにいる時が一番笑顔で明るいし、泣くし、弱くて強いと思う。音楽が好きです。生きていてよかったと何度も思わせてくれてありがとう。
それから、ハンブレよりもっと前に私の人生に光をくれているバンド、SEKAINOOWARI。13歳の時に初めて聴いて、なけなしのお小遣いで当時出ていたCDを全て買った。好きになった時の記憶があまりないのだけど、確かあのときは、心を打たれたというよりは、趣味が欲しかったのだと思う。お姉ちゃんは嵐のファンクラブに入っていて、私はこれと言って好きなものがなかった。そんなときに、何かをきっかけに出会ったセカオワを運命と称し、24歳半ばになった今でも好きであること。本当にあれは多分運命だったんだろうな。
初めてライブに行ったのは2013年、炎と森のカーニバル。初ライブにしては過酷な富士急ハイランドでの野外で、移動は鬼のようだった。学校を休んで、叔母さんに連れて行ってもらった。 当時の私は虹色の戦争が大好きで(今も大好き)、初めて生で聴いて、キャー!って声が出た。まじで覚えてる。黄色い歓声って、ガチらしい。音楽を聴いて泣いたのは、あの日が初めてだった。確かに覚えている。銀テは届かないほど遠い席だったけど、テレビで見るよりずっと近くに深瀬くんを感じた。大好きだと思った。
それから10年です。怖いんです、人生は。
2021年、コロナ禍で、私は鬱気質が悪化した。病名はない。でも多分、そうだった。そして今もそうなんじゃないかと毎日のように疑うくらい、弱い。メンタルがカス。生きてる価値が、あまりない。それでも生きてられるのは大好きな音楽たちのおかげ、なのですけれども。
コロナのとき、就活がだめで、うまく生きていけなくなって、外に出れなくなって、毎日ボロボロな顔と姿で、散歩ばっかりしていた。毎日、自分を肯定するためだけの文字を書いて、自分で自分に対する愚痴を書いた日記は塗りつぶして破り捨てて、時々エントリーシートを書いて、泣いて、寝て、絶望しながら生きていた。ちょうど、セカオワの、バードマンが出た時期。痩せてしまって、モデルでも何でもないのに、体重は43キロしかなかった。「頑張れたらそうしたいよ こんなところで道草食ってるけど 何で今容赦なく始まった今日はこんなに眩しいんだ」という歌詞で、わたしはなんどもなんどもなんどもないた。普通に内定もらってる人たちが羨ましかった。自分がどうしようもなくだめな人間に思えて、誰にも会えなかった。会える気力も、メンタルもなかった。正直あのとき、大変大変孤独でした。ちなみにバードマンは、聴くとお母さんも泣きます。生きててくれれば良いからって言われたんだっけな。思い出して泣いちゃった今。自分の話をすると、弱くなるなあ、私は。バードマン、聴いてみてくださいよ(ちなみに、このときあたりでハンブレの音楽に救われ始めてもいました)
なんやかんやありまして少し立ち直った私はフリーターを選び、今の会社で保険に入って働いております。同時にたくさん旅をするようになったのだけど、そのきっかけが、セカオワ10周年の展示会だった。東京で行われるやつで、就活の面接以外で初めて一人で新幹線に乗った。セカオワでいちばん好きな曲というか、思いれがとてもつよいのはtearsです。その展示会(ザ・シークレットハウス)のテーマソングみたいな感じだったんだけど、会場でtearsがながれたとき、初めて富士急でインスタントラジオを聴いた時くらい、泣いた。泣いたっていうか、気づいたら涙が溢れていたという方が正しい。私はこのバンドと10年生きてきたんだ、って、嬉しいこととか悲しいこととか、たくさんあったけど、いつもセカオワの音楽がそばにいたなとか、思ってしまって。走馬灯みたいだった。走馬灯ってこんな感じなんだなとも思った。ただ他の人と違うものを好きになりたかっただけの私が選んだバンドは正しかったんだって、あのとき初めて自分を信用できた気がする。tearsは深瀬くんの2016年のインソムニアトレインのツアー中に亡くなってしまった友達の歌、らしい(確かそう そしてそのツアーは宮城の時で、深瀬くんは泣いていた 覚えている)
人には人の人生があり、私がセカオワと勝手に生きてきた10年で、メンバーにもいろんなことがあったのだ。生きていると、いろんなことがある。それで、全てが元には戻らない。だから進むしかないのだよなあ。
なぜこんなクソ長キモ日記を急に書いているかと言いますと、お母さんから、「セカオワの追加公演みた?大阪城ホールいきたいから応募して」と連絡が来たからなのですよ。私お金がないから今回は宮城の2daysだけにしよつもおもってて、追加公演諦めてたのだけど、10年の間で、お母さんが私の好きなものを同じだけ好きになってくれたことが嬉しかった (だからこそバードマンが出た時、歌詞を見て泣いていたんだなと思う)
しかも、大阪城ホール。3月にハンブレに会う場所。セカオワ当たってほしいなあ、城ホールは、きっと私に取って特別な場所になってしまうんだろうな。
冷え込む夜、孤独な夜、泣きたい夜、そのどれもは、致死量の白湯を飲んで眠るとよいです。少なくとも私はそういう夜ばかり過ごしております。
まとまりのない日記でした。泣きながら打ったので、誤字が多いかもしれないけれど、最後まで読んでくれてありがとう。
私の愚かで可愛い日々に、この先もどうか光がたくさん差し込みますよ〜に!
2024.02.01
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