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走ろう【テニス】



 例えば管理職になれない人がいる。それは能力云々ではなく、イチプレイヤーから視点を変えることができず、創造できない人。もう少し噛み砕く。忙しいからと、結果8割以上イチプレイヤーの仕事しかしていない。ただそれなら最低限仕事をしていると言い訳する事ができる。その事自体、会社の求めるものとは無縁。故に業績は伸びない。
 逆に仕事できる人間ってのは抜き方が上手い。それをするのが自分である必要があるか。不要なものを極力任せ、代わりに結果に責任を負う。結果は後からついてくる分、初見では生意気に映るのも一つの特徴かもしれない。

 思い出したのはポケンとしたパースンが社会人になって初めてコーチングした後輩。二つ年下の男性社員は、研修をKPの元で受けて現れた分、既に仕上がっていた。後にも先にもKPの前で私を旧姓で呼ぶ人間はこの男しかいない。末恐ろしく、頼もしくあった彼は、今はKPの視界に入る所で、外部のコンサル(?)の人にボコボコにされているらしい。さすがとしか言いようがない。

 白石光選手(以下白石くんとする)と小倉孝介選手が話すのを見ていると、この後輩のことを思い出す。後ろ重心で気だるげ。でも言っていることは的を得ている。大学のトイレ掃除の話で「感謝の気持ち」という精神論相手に「雇えば良くないですか?」と需要と供給の話を持ち出す。
 辛かった思い出は、真冬の外のコートでの球出し100球。「(待ってる間)凍えるかと思った。部活してんなーと思った」快不快に敏感で、けれども大事な場面では労力をかけることを惜しまない。逆にその時のために全てを蓄えているかのよう。
「走ろうって腹括りました」
 今井慎太郎プロ相手にどうしようもないと思った時、決めたこと。


「走ろう」


 白石くんのプレイスタイルをシコラーと称する人がいる。おそらく試合時間が長く、ベースラインメインで戦うからで、けれど私にとって何となくイメージにそぐわないのは、男が「自分だけの世界で戦っている」訳ではなく「相手頼みの戦い方をしている」訳でもないから。
「相手しか見ていない」という白石くんは、相手の苦手を見つけたら「2度とラケットを持てなくなるくらい」までボコボコに叩くと言う。加えてその時の戦況、ここで前に来られると嫌だろうという場面ではサービスダッシュも多用する。「観察の段階」のプレイスタイルは確かにシコラーじみているが、実際ものすごくマルチでクレバーだ。相手によって自分を変えるというのは、それだけ色とりどりの手札を用意していないとできないし、得意なショットに限らず、その全てに再現度の高さがなければ実行できない。だからこその無類のタイトル保持者。
 そんな白石くんが「走ろう」と決める。一試合3時間かける白石くんが腹を括る。それは勝つために手段を選ばないということ。普段の話し方から想像もつかない、完全に身を粉にする宣言。

 しばしばサーブがダサい、ガニ股、と言われる白石くん。確かに間違ってないし、正直私もそっち側の人間だった。けれど偶然見かけた小倉プロとの一戦、男のスプリットステップがあまりに美しすぎて、そこから今に至る。
 ベースラインから跳ねて一歩分後ろに両足をつき、左右に駆け出す。その一瞬だけ、無重力かと思うような間ができる。ゼロからイチを生み出す。静から動を生み出す。これは実際に見てもらわないと分からない。


「走ろう」


 無重力な男は、重力空間で夢を見せる。まるで数分前に試合が始まったばかりのような、まるで変わらない動きを見せる。そんな満身創痍の状態でも、帰ったらインスタを更新する。毎日上げると決めているから。決めたことはやる。代わりにやらなくていいことは極力しない。全ては自分の目指すもののため。
 底力。パッと見ただけでは分からない。数年後、久しぶりに顔を合わせた時、後輩は「大変なんすよ、もー」と延々苦労を垂れ流していた。私の目には甘えたにしか見えない男は、けれども仕事となると凄まじい力を発揮する。彼らはそうして何かをならしているのかもしれない。


「走ろう」


 言葉にすれば実にシンプル。けれど覚悟のいること。私もまた見習いたい。







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