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族長の時代 1. 〜群衆の中の神々〜

何百万人という群衆を動員し、共鳴させ、時代霊や世代の象徴を生理的に群衆の深層心理に立ち上がらせる音楽とそのミュージシャンは、もはや魔術的な神霊力を与えられた族長である。おそらくそのコンサートや野外フェスで同期した何十万人は、あとからSNSやネットで押し寄せる数百万人〜数億人と、民族魂と時代魂を融合させることができる。人類意識、ユングの言う普遍的無意識にぽっかり穴があき、吸い込まれるような青空が覗いたように。そこにもはや国境も遺伝子の差異もない。ただ熱情と涙がこみ上げるだけだ。
私の場合、それは高校時代のアリス、“遠くで汽笛を聞きながら”から始まった。渺渺と地上をどよめかせる青春の暗黒の嵐の中に今の私たちの視点をターゲットしていけば必ず皆んな誰か、族長にあっていたはずだ。あの頃でさえ、何もいいことがなかったと、二十歳未満の私たちはすでにわかっていたのだから。

すでに令和になっていたと思うが、行きつけの神保町の書泉グランデの4階で、何冊もの単行本をカウンターに積み上げる谷村新司氏とすれ違ったことがある。なかなか峻厳な表情をされていて近寄り難かったのが懐かしい。


あの頃から幾つかの疾風怒濤の旅を経て、今の私は故郷に打寄せられた流木のように、めっきり人の減った緩やかなな中国山地に囲まれた盆地の町に残された先祖代々の家にいる。言わば大自然の中の孤独に侵食されているわけだ。思えば私もすでに世界的な魔術力を振るう偉大な族長に出会っており、私の与えられていた祖先の運命の潮流を族長のパワーで一刀両断され、その新しい航海図にしたがって漂流をやめ小さな船を駆動する日々とも言える。農業をコアとする日本民族生存圏のポンチ絵を振り回して人騒がせな、押しかけ勉強会を農水省やら法務省で敢行して来たのは、おもに神仏習合における神々の世界からの任務だった。と思われる霊夢はまだ書けないが。
そして最近また例の1999年の世界がユーチューバーなどに新しく喧伝されているのを知った。西暦はイエス・キリスト誕生を元年とするもので、ノストラダムスの恐怖の大王の預言はすでに過ぎているが、もしもイエス・キリストの聖者としての誕生を元年とするならば、まさに来年2025年7月にこそ、恐怖の大王は降臨することになるらしい。いやはや、やれやれ。
そんな日々だが、最近は大自然の中の孤独から群衆の中の孤独に踏み込む体験をして、日本一の来場者数を維持し続ける岡山県立図書館に入り浸り、スマホ電源をつなぎつつ、創造的孤独を活用しているわけ。
群衆の心と脳のざわめきの深みには、時代霊や民族霊が棲んでいる。そして群衆の先祖代々の霊たちには神々(ミコト、命、尊)のお陰がさしている。これからの任務は群衆意識の中で何かを行う領域に入ったとしか今はまだわからない。


■アリス、“遠くで汽笛を聞きながら”を聞きながら。
■画像はヤフー、遠くで汽笛を聞きながら画像、アリス、谷村新司画像より。


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