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ずっと覚えていたい子どもとの日々

子どもたちと接していると、この子たちの目にはいまどんな世界がうつっているのだろうとよく思いを馳せる。

今日は息子(2歳7ヶ月)と娘(1歳5ヶ月)とお庭で遊んでいた。
娘が急にしゃがんだと思ったら

「あーりー」

と言った。

目線の先を一緒に見ると、蟻が歩いていた。

「まってー」

とおいかける娘。(かわいい)

蟻はどんどん進んでいき、地面に開いていた穴の中に入って言った。

「あ、いっちゃった」

と少し寂しそうな娘。

私の世界にはいなかった蟻が、娘によって急に登場した。

少し離れて遊んでいた息子が、近寄ってくる。

「あり?(蟻がいたの?)」

と聞いてくる。

「蟻さんがいたんだけど、穴の中に入っちゃったんだよー」

と私が状況を伝えると、

「おーーい」

と呼びかける息子。(かわいい)

そしたら娘も真似して

「おーーい」

と呼びかけた。(かわいい)

「でてこない」

という息子。

そして砂を持ってきて穴の中に入れ始めた。

「えええ!かわいそうだよ。やめてー」

と言ったが、息子はけらけら笑っている。

砂を入れることが面白いとどこかで学んだみたい。

そしてその様子を見て、娘も砂を入れ始めた。

最近は兄がやることをなんでも真似する娘

なるほどこうやって兄妹の影響を受けていくのか。

私は「アリさん出れなくなったらかわいそうだよー」と伝えてみたが、果たして子供たちに伝わったかどうか。

こういうとき、親はどんな声かけをしたらよいのか。難しい。

周りの人の振る舞いや、一つ一つの声かけもまた、子どもたちの価値観や世界を作っていく。

子どもたちを見ていると、人間の本来の姿というか、本能のようなものを思い出させてくれる感じがする。

子どもたちは日々【今】や【目の前】のことに一生懸命で、
何に対しても好奇心旺盛で、初めて見るものは触ってみたり、「これなあに?」と聞いてみたり、たまに怖がってみたり。

同じ場所で1日過ごしていても、私と息子と娘ではそれぞれ見ている世界が全く違うのだと思う。


最近、この世界はみんな、自分が見たいように自分の世界を見ているんだなとよく思う。

同じ地球という世界を生きているけれども、一人一人に起こっていることも、感じていることも全然違う。

それは同じ庭にいても、全く違う世界を見ているような私と息子と娘のように、同じ地球にいても、一人一人の個性や能力・感じ方によって、全く違う世界になる。

SNSとも似ているなと思う。

誰をフォローしているか、どんな投稿をよく読むかでアルゴリズムができあがり、タイムラインには興味のありそうな情報ばかり流れてくる。
自分で好きな世界を作っている感じ。

現実世界も一緒だ。

どんな出来事が起こるか、どんな人に出会うかも、偶然のようで、実は自分が全て決めているのだとよく思う。

見ようと思わないと見えない。
情報が多すぎると、見えない。

私が見えていないたくさんのものを、子どもたちが教えてくれる。
落ち葉がたくさん落ちていること、石の中に違う色の石が混ざっていること、綺麗な花が咲いていること。

子どもたちと一緒にお散歩していると、普段は私の世界には登場していなかった自然や四季の変化などにたくさん気づくことができる。

風が吹いていることや、遠くに飛行機が飛んでいること。
道路沿いのお家の木にたくさんの美味しそうなみかんがなっていること。

日々忙しいと、つい目の前のことではないことたちで頭がいっぱいになっていることがあるけれど、いま・目の前の時間をもっと子どもたちと楽しみたいなと思う。

見えているはずのに、全然見えていなかった景色が、子どもたちのおかげで急に額縁に入れられた美術館の絵のように、隅々までくっきりと見えるようになる。
そしてその景色を一緒に楽しみ、より彩りある景色になる。

幸せな日常

ってこういう時間を言うような気がする。

大切なものを得るために、大切なものを見失うことがないよう、これからも今日のような小さい時の子どもたちとの日々を忘れないようにしたいと思う。

目の前の世界が美しいかどうかは、見る人の心がどう感じるかだ。



あなたには今日が、どんな世界に見えていましたか?

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