同じ人間、同じ地球、別々の物語

昨日のnoteの終わりに 紹介した本の中で これこそが人々に
不幸をもたらしている元だという 一文を見つけたので ここで
紹介したいと思います。

世界の一方には、自分と生物界の関係を、あらゆる生き物の幸福のために緑の園を創ったスカイウーマンに倣って築いた人々がいる。その一方で、もう一人、やはり緑の園と一本の木知られる女性がいる。その女性は、その木の果実を食べたために園から追放され、門は固く閉ざされてしまった。人間の母であるその女性は荒野を彷徨うことを強いられ、枝にたわわに実る甘くてみずみずしい果実を食べる代わりに、額に汗して働いてパンを作らなければならなかった。食べるためには投げ出された荒野を征服せよ、と教えられたのだ。
同じ人間、同じ地球、別々の物語。

植物と叡智の守り人〜ロビン・ウォール・キマラー著

スカイウーマンに倣った人たちは 北アメリカ先住民。
追放された女性は イヴです。
片や自然の恵みを奉授し 自然に抱擁されながら 自らが自然の一部であることを理解して 調和のもとに生きる人々。
そして 片や 人生は苦痛とイコールであり、生き残るためには奪うことが必要
だと思いながら生きる人々。
生命や人生を どのように考えるのかによって その人の生きる人生も大きく
変わってきます。

私が感じる日本人の大きな印象は 数字に細かいことです。
以前 こちらに住む日本人女性が コストコの会員になりたいから 
家族会員にしてくれないか?と連絡してきたのです。
当時私の登録した 個人会員の 会費は$50でした。
それで その人は 会費の半分を 自分が負担するというのです。
私は思わず たった$25の世界で 切り詰めるの?と思いました。
するとすかさず 今から一緒に コストコまで 乗せてくれない?そして
手続きして欲しいというのです。
とりあえず 一緒にコストコに行くと 同じ住所の証明がないと 家族会員の
受付はできませんと 言われました。当然です。
私としては 断られて よかったと思いました。
すると今度は 旦那が食べ過ぎで 食費は半端ないと 愚痴の電話が来ました。
旦那さん 頑張って働いてるんだから 食べたいだけ 食べさせてあげれば
いいんじゃないの?と言ったら お金がもったいないと言うのです。
確かに 食費は気を抜くと バカにならないのはわかりますが 酒もタバコも
しない旦那さん、食べることが楽しみで しかも $3ぐらいの缶スープを
2缶 一気に食べるだけなのです。
そこを 摘んでどうするのだろう?と思いました。
また ある女性は 旦那が ピーナッツバターを パンに厚塗りすると愚痴って
来ました。私も 厚塗り派ですので それがどうしたの?と聞くと 瓶入りの
ピーナッツバターが 1ヶ月も持たないというのです。それも 大した金額じゃ
ないのです。旦那さん その人が 受け取れるように 高い生命保険をかけてます。自分が先に死んだら 愛する妻が 異国で路頭に迷うことのないようにと
先回りの思いやりを 捧げているのです。
それが ピーナッツバターごときで 愚痴ることの 情けなさ。
日本人は 1円でも足りなかったら 欲しいものが買えないという考えです。
こちらでは 小銭の釣り銭を 次の人のためにと 受け取らずに店を 出る人が
結構います。お店は そうした小銭を 小さな入れ物にいれ レジのそばにおきます。
そして 1円足りない人がいたら レジ係がそこから取って 精算を済ませます。
私は レジで待つのが あまり好きじゃないので ホームレスの人や 一般の
人で生活保護を受けている人が ないお金を ポケットの中に探しているとき
などは 列が長くなるので 私が支払います。そういう人たちは たいてい
わずかなものしか買いません。その人たちが 私に感謝するとかしないとかは
あまり問題ではないのです。
そもそも 私は お金に属さず お金も私に属しません。
ならば 手放していいのです。でも すぐに返ってきます。なぜか そういう
仕組みになっているようなのです。
ですから お金に気持ちは 乗せないようにしています。
もちろん そのことに気づくまでに 別の経験もしました。
予算を立てて 出費している時期もありました。
でも今は お金のことを 考えることに 時間は費やさないことにしています。
どんなに考えても 入ってこないときは 入ってこないのです。
また 考えてなくても 必要であれば 入ってくるのです。
100年も生きない短い人生で 何を経験したいですか?
日本人は バブルの馬鹿騒ぎから 低所得まで かなり 幅広い経験を通り過ぎ
ていますが お金に集中すればするほど お金に関する問題もやってくると
思いませんか?日本のスーパーに行くと やたらコスパという言葉を目にします。私は コスパじゃなく 美味しいもの 身体にいいものを優先します。
有機キャベツを $10で 販売している店がありました。
それを購入した 日本人女性が 日本のスーパーなら ひとたま100円だと
文句を言っているのです。
100円のキャベツとは 農家は一体いくらで 卸しているのでしょうか?
まともに考えたら 怖くないですか?
自分で作れないものを 人様から買っているのに じゃあ 一体いくらなら
農家の仕事に見合った金額だというのでしょう?
そのように 考えたことはありますか?

同じ人間、同じ地球、別々の物語。
100年も生きられないこの地球での人生です。
与えることも受け取ることも 特別に思うことなく あらゆる経験をしてください。そのための身体です。






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