散らばる点が 繋がっていく 2

2020年の初め、私は ホノルル空港から 関西国際空港、
クアラルンプール国際空港を 経由して スリランカに
向かっていました。
80年代から90年代の終わりにかけて パスポートの空白が
なくなるほど 旅をしていたので 飛行機には もう乗らないと
思っていたのですが おかしなことに 2019年の12月に入ると 
やたらと スリランカのことを考え始め 当時 私の滞在の面倒を
見てくれた家族に 今あったほうがいいような気持ちが 日に日に
つのり 出発を決めたのでした。
あの時 私を動かしたのは 何か とても大きな力です。

ホノルル空港から 離陸間も無く 私の斜め前の座席の 見た目が 
中国人らしき男性が 仕切りに 咳き込みました。
手には 携帯を持ち ゲームをしています。
口を 手で覆うでもなく ずっと 咳をしています。
少し止まったかと思うと また ゲホゲホします。
着陸まで この状態が続くのか?と なんだか 嫌な気持ちに
なりました。
関空で 飛行機を乗り換え 今度は マレーシアに向かいます。
咳き込む男性が 乗らないことを願いながら 搭乗しました。
離陸後 今度は もっと 離れた座席で これまた 見た目が
中国人の男性が 激しく 咳き込んでいます。が 同じ人では
ありません。そして これまた 口を覆うでもなく 出てくるままにです。
その人たち以外の 搭乗車が 静かなので この二人は かなり
目立っていました。
スリランカに到着して 3日後ぐらいに 突然 高熱が出ました。
そしてすぐ 咳が始まりました。
滞在した友人宅には 2歳になる子供がいるので 友人に話し
寝室に籠ることにしました。
食事は 食べれそうな時だけ ドアの前まで 持ってきてもらうことに
お願いしました。
私が 借りた寝室は 大理石の床で 日中は そこに 寝そべることも
ありました。
頭の中では ずっと 旅していなかったので 機内の乾燥と冷えで
調子が 少し狂ったぐらいに 思っていました。
スリランカには 日本で言うところの 葛根湯のような 家庭薬が
あり Samahan(サマハン)という名で 売られています。
家庭薬と言っても ちゃんとアーユルベーダの 知識をもとに 
スパイスやハーブが調合されていて 地元では 風邪や咳に効くと
されています。
それでも 今回は かなり 長引きました。1週間も 寝込んだでしょうか?
こんなに 風邪が長引いたのは 初めてです。
私が 滞在していた友人宅は プチホテルで フランス語を話すことから
フランス人旅行客が 90%を占めていました。
その中の一人が 波乗りの最中に怪我をしたらしく 航空券の日程変更をして
早目に 国に戻ると言う会話をしていました。
すると 仲間の一人が 空港が閉鎖になるかもしれない云々と言っているのです。が 私は フランス語は詳しくないので 聞き取れない部分もありました。
この時点で 私はまだ 何が起ころうとしているのか 全く知らずにいました。
1月下旬に入り 今度は ホノルルへ向かいます。
帰りは 咳をする男性たちは 機内にいませんでしたが、どの空港にも 
サーモグラフィが設置されていることに 気づきました。それは エボラが
流行したときと同じ 空港の様子でした。なんの情報も 得ていない私は
気にかかりながらも ホノルルへと 無事戻ってきました。
数日後 地元の ラジオで 11月ごろから 肺炎のようだけど 何かが違う
症状が 流行り始めた時 俺は これは いつものとは 違うから ちゃんと
調べたほうがいいって 言ったんだよと 当時 彼の言ったことを 誰も 
まともに聞かなかったかのような 発言をしていました。
久しぶりに ネットに アクセスすると 日本の客船でと言う ニュースを
その時 初めて知りました。
そして パンデミックの発表、ロックダウンへと 流れ込んでいます。
その時 ふと 飛行機で 咳をしていた男性は 工作員だったのか?
と思いました。だとすると 私は 早々に 免疫を 獲得したことになります。

つづく


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