『ベルセルク』三浦建太郎先生のご逝去の報を受けて記す【サッカー関係ないけど特別寄稿】


この原稿は旅とサッカーのマガジンであるOWL magazineの記事であり、そのための原稿を吉祥寺のカフェで書いていたのだが……。衝撃的なニュースが飛び込んできた。

『ベルセルク』の作者、三浦建太郎先生がお亡くなりになったと……。

あまりの衝撃に何も手につかなくなってしまった。なので今日は『ベルセルク』のことを書く事にする。それ以外は書きようがない。


だって『ベルセルク』の続きはもうないんだよ!!

ガッツとキャスカは救われないまま、グリフィスは人間性を取り戻さないまま、リッケルトの冒険もどこにも辿り着くこともなく、シールケとファルネーゼの成長を見届けることも出来ず、髑髏の騎士とゴッドハンドも結局なんだかわからないまま……。


ガッツとグリフィスの決闘も一生見ることが出来ないんだ。

でもいい。

不完全で終わってしまった。

それでもいいとしよう。ぼくは『ベルセルク』があったおかげで、今は表現者として立派に生きている。戦場で戦うことが出来ている。


それは 剣と言うには あまりにも大きすぎた

大きく ぶ厚く 重く そして 大雑把すぎた

それは 正に 鉄塊だった


ガッツの抱える「ドラゴンころし」という巨大な剣に対する形容であるが、この作品そのものへの評価とも言える。


それは 一人の人間が創る世界としては あまりにも大きすぎた

大きく ぶ厚く 重く そして 大雑把すぎた

それは 正に 鉄塊だった


……。

これほどの世界を創造し、我々に生き方を教えてくれた三浦先生に敬意を表すと共に、この作品がどうして好きなのかを熱く語りたいと思う。

この記事は、旅とサッカーを紡ぐウェブ雑誌OWL magazineに寄稿するので本来は有料記事なのだが、代表の「我が儘特権」を使わせてもらい無料公開とする。

近々書籍化もするので、スポーツや旅が好きな方は名前だけでも覚えておいて頂けると、とても嬉しい。


OWL magazineが目指すものと『ベルセルク』は、「ぼくの中では」密接な関係性がある。ごくごく少数の方にしか伝わらないかもしれないが、今日はこの記事を書く。


さて、どこから始めようか……。



「もがき 挑み 足掻く!!
それこそが死と退治する者の唯一の剣!!
ゆめゆめ忘れぬことだ!!」
髑髏の騎士

1.基礎知識

『ベルセルク』とは、白泉社から出版されている漫画誌『ヤングアニマル』で連載されていた作品だ。『ヤングアニマル』を開いて『ベルセルク』が掲載されているのかを見ながら、ついでに『ふたりエッチ』を覗いた青少年も多いのではないだろうか。

ジャンルとしては細部まで丁寧に作り込まれたダークファンタジーであり、ゾクゾクする大迫力のアクションが繰り広げられていく。

ぼくに言わせるとテーマは「戦い」と「仲間」である。「仲間」と言ってもただの仲良しではなく、命を賭けた戦いを共にする「戦友」である。この「戦友」という概念が素晴らしい。

そこには友情があり、連帯感があり、愛や恋も含まれる。嫉妬や苛立ち、裏切りすらも含まれている。

『ベルセルク』を知らない人からすると「戦い」も「仲間」も『One peice』の世界観ではないかと言われてしまうかもしれないが、どちらが上かどうかという判断はできないのだが、まったく違うものなのである。

これから、『ベルセルク』がどんな話なのかをぼんやり書いていこうと思う。ネタバレももちろん含まれるが、ぼく程度の文章でこの壮大な物語をすべて書き記すことは出来ない。また、『ベルセルク』の絵は、絵画のように美しく、武器や鎧、装飾品なども、資料をよくよく検討した上で丁寧に描かれている。興味を持った方は是非読んで頂きたい。

あまりにも物語が壮大なことと、作画の労力が尋常ではないことから、三浦先生は体調を崩しながらも描き続けていた。文字通り命を削って書き、実際に命を失われたのだ。

最近はSmart漫画のようなジャンルも生まれている。作画とシナリオを別人が担当して、個性のない誰でも描ける絵と、どこかで見たことがあるようなストーリーが展開していく。

これもこれで面白いのだが、どの作品も例外なく「出落ち」である。最初は面白いのだが、次第に話に無理が出てくる。製作者が誰も作品に思い入れを持っていないのではないかと思うのだが、そのせいか、一度物語が失速すると二度と元の勢いになることはない。後は少しずつ読者が減って、商売にならなくなるまで継続されるだけである。

そういった作品はどれだけ足掻いても『ベルセルク』のような本物の物語には勝つことが出来ない。作品に魂を込めるということが何たるかをぼくに教えてくれたのは三浦先生であった。

言葉は無粋!!
押し通れ!!(不死のゾッド)

2.黄金時代

黄金時代。

これ以上の4文字はあるまい。

恐らく『ベルセルク』を振り返るとき、多くの人が思い出すのがこの黄金時代編である。若き日のガッツは、グリフィス率いる傭兵組織「鷹の団」と出会う。

オレはおまえが気に入った
おまえが欲しいんだ ガッツ
(グリフィス)

多くは語らない。ただ、これ以上の物語はない。

誰にでも勧められる物語であると同時に、誰にも勧められない物語でもある。

思い出すと胸が苦しくなる。ガッツが敵陣に突入して切り開いた時を、頼りないリッケルトとヘラヘラ笑いながらナイフを磨くジュドーの顔を、美しく儚いグリフィスの姿を、傷だらけのキャスカの裸体を。

リッケルトの冒険も続きが見れないんだと思うと改めて落ち込んでしまうのだが……。はぁ……。大好きなんだけどな、リッケルト。

思い出すだけで胸が苦しくなり、締め付けられ、涙が出てくる。輝かしいあの時代よ、永遠に……。

三浦先生の学生時代の人間関係に基づいて書かれているという話を最近見たのだが、それを聞いて20年越しに納得した。この眩しさは、三浦先生が心の底から思っていたことから生まれたものだったのだろう。

黄金の時代は終わりを告げる。

それはいつ終わっていただろうか。

未熟なガッツがグリフィスと決闘をした時だろうか。

このまま あいつの夢に埋もれるわけにはいかねえんだ(ガッツ)

それともノスフェラトゥゾッドが現れた時だろうか。

貴様に死がおとずれる  決して逃れられぬ死が(ゾッド)

それとも……。


自分じゃ もうちょっと器用なやつだと思ってたんだけどなァ(ジュドー)


なんという物語なのだろうか。

黄金時代編の輝きは素晴らしく、これ以上のものはこの世に存在していない。だからこそ、『ベルセルク』の物語は動いていく。

もう戻れないあの時代。

取り戻そうと足掻くのか、それとも前を向いて生きるのか。



オレを焼いているのはこの黒い炎だけじゃねえ あの日々のかがり火は まだ胸を焦がしてる(ガッツ)

3.断罪編

蝕を経て、1〜3巻の黒い騎士編を終えた後の世界。口がきけなくなるほどの強いショックを受けた状態で読むことになる。

我々は『ドラゴンボール』世代なのだが、この作品は「戦う理由」が常に曖昧という特徴がある。ピッコロ大魔王の世界征服を防ぐという目標が出来たこともあるのだが、それとて、「悪い奴は悪いから倒す」という理由付けである。

それ以外の戦いは「戦いたいから」であったり「ドラゴンボール集めの際の行きがかり上」であったりする。天才鳥山明の描く世界観のおかげで何とかなっていたが、話の主筋が欠落した状態で進んでいく物語であった。

一方で『ベルセルク』は戦う理由が生み出されるところを丁寧に描いた。それが前章の黄金時代編である。そして、断罪編からはガッツの孤独な戦いが始まる。

とはいえ、妖精パックに、少年イシドロなどの仲間が増えていくのもこの章からである。

イシドロは世界観に合わない軽いキャラクターなのだが、ガッツを取りまく凄惨な状況を緩和させるために生み出されたのかもしれない。そんなイシドロに対して、師匠となったガッツが言い放った言葉がぼくの心を捉えている。

お前何十年も修行して達人にでもなるのを待ってから戦場に出るつもりか?
気の長なげェ話だな

OWL magazineのライターで、これと似たようなことをぼくに言われたことがある人も多いはずだ。

力を付けてから戦場に出るのでは遅いのだ。戦場で力を付けないといけない。クリエイターは孤独な戦闘者であると考えているのだが、この思想の背景には『ベルセルク』がある。

逃げ出した先に楽園なんてありゃしねえのさ
辿り着いた先
そこにあるのはやっぱり戦場だけだ(
ガッツ)


今やんねェやつは!一生やりゃしねェんだ!(イシドロ)


4.ガッツとグリフィス、そしてキャスカの物語

パッチワーク。時系列は不正確。

言葉は無粋。

押し通る。



「おまえはオレのために戦え おまえはオレのものなんだからな」(グリフィス)


「その夢を踏みにじる者があれば全身全霊をかけて立ち向かう…たとえそれがこの私自身であったとしても…私にとって友とはそんな…「対等の者」だと思っています」(グリフィス)

「オレは、自分で手にする何かであいつの横に並びたい。オレは、あいつにだけはなめられるわけにはいかねえんだ。」(ガッツ)


「オレはオレの国を手にいれる。お前はオレのために戦え。お前の死に場所は、オレが決めてやる」(グリフィス)


「奇跡…そう…私にとってグリフィスは 奇跡そのものだった」(キャスカ)


「あいつが見つめているのは グリフィスだから だから……今は
 今のオレじゃ……だめなんだ」(ガッツ)



「大きなものを手にしようとする者は それだけ人より多く何かに堪えているのだと思う」(キャスカ)




「何千の仲間、何万の敵の中で唯一お前だけが、唯一お前だけがオレに夢を忘れさせた。」(グリフィス)


「このまま あいつの夢に埋もれるわけにはいかねえんだ」(ガッツ)


「この男の中になら、私の場所があるかもしれない。
与えられるだけじゃなく、与えることができるかもしれない」(キャスカ)



「オレの手の中から出ていきたいと言うのならあの時と同じ… 剣で自分をもぎとって行け」(グリフィス)


「おまえが‼︎グリフィスを弱くした‼︎グリフィスには……‼︎グリフィスは………おまえがいなきゃだめなんだ!!!」(キャスカ)


「くるな 今お前に触れられたら 今お前に肩を掴まれたら オレは二度と オレは二度と…‼︎二度とお前を………………」(グリフィス)



「……げる」(グリフィス)




「詫びることなどできない いや……詫びはしない……‼︎詫びてしまえば 悔やんでしまえば すべて終わってしまうから あそこにはもう届かなくなってしまうから」(グリフィス)



「どの口でほざきやがる 貴様らがどの口で 鷹の団だと!!!」(ガッツ)



「オレは オレの夢を裏切らない それだけだ」(グリフィス)



「何も…お前がやったことに…お前が裏切ったあいつらに……何一つ 感じちゃいねェってことか!!?」(ガッツ)


「お前は知っていたはずだ オレがそうする男だと お前だけは」(グリフィス)


「どうして終わったり、なくしたりしてから、いつもそうだったと気がつくんだ……。(ガッツ)


「私の歩く道端にたまたま あなたという石コロが転がっていた… ただ… それだけです」(グリフィス)


「あいつに辿り着くまでの数え切れない夜がオレを叩き上げた。」(ガッツ)

「力ずくっていうのも…嫌いじゃない」(グリフィス)



「貴様らも あの腐れバケ物どもも 一匹残らず オレが狩り殺す これが、開戦ののろしだ!!!!」(ガッツ)


「恐ろしいことも悲しいことも……火にくべてしまえばいい」(グリフィス)



「夜が明けるまで死に続けろ」(ガッツ)


「…どうして…どうしていつも…戦っちゃうんだあいつ……もういいよ…たまには逃げてよ…」(キャスカ)


「恐怖を殺意が塗りつぶしていく」(ガッツ)




5.ネバーエンディングストーリーとしての『ベルセルク』よ、永遠に

この記事をどう書けばいいかもわからないし、どうやって終わらせればいいかもよくわからないでいる。とにかく今思うことだけ書き綴りたい。

鷹の団という組織はグリフィスを中心とした組織であった。だから、ガッツは鷹の団を去った。

グリフィスは鷹の団を新生させた。が、それは鷹の団とは言えないものであった。一方で、ガッツは旅を続けながら仲間を増やし続けた。

妖精パック。
コソドロ少年のイシドロ。
正気を失ったキャスカ。
可憐な魔法使いシールケ。
鉄のコルセットを脱いだファルネーゼ。
剣士セルピコ。

……。

グリフィスが失ったものをガッツは手に入れようとしている。戦いの中で。


どうでもいいはずがない!
思い出して!
あなたが旅する理由…
今 戦っている理由を!
どうでもいいもののために人間の魂はこんなにボロボロになったりしない

(シールケ)


ガッツ一行の旅はどこへ続いているのか。または、バーキラカの元に向かったリッケルトはどうなるのか。グリフィスと新生鷹の団はどこへ向かうのか。

これらは永遠にわからないままだ。もちろん作品プロットが残っていて、誰かが続きを書いてくれるかもしれない。そうなったらありがたい話なのだが、あくまでもそれは『シン・ベルセルク』として受け取る必要があるだろう。

『果てしない物語』という作品がある。映画『ネバーエンディングストーリー』の原作である。この話は、主人公バスチエンとアトレーユの冒険物語として描かれるのだが、その途上で多くのキャラクターと出会うことになる。

そして、そのキャラクター達の冒険、あるいは日常も、その先続いていくのだが、「これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」と挿入され、詳しく語られることはない。

果てしない物語の所以はここにある。

要するに『ベルセルク』のメインストーリーも果てしない物語同様、完結することなく終わってしまったのだ。

そのことに対する歯がゆさは強く覚えるものの、それはそれとして受け止めるべきなのだろう。確かに物語の続きはもう読めない。しかし、物語は続いていく。少なくともぼくが死ぬまではガッツの物語は消えることなく残っている!!

これを機に『ベルセルク』を再読して、改めてガッツやグリフィスの生き様を魂にしみこませようと思う。

泣いてはいけない。悲しんでもいけない。嘆いてもいけない。ただ前を向いて、自分の戦場で戦うのみ。戦って戦って戦い続けるのだ。

それが三浦建太郎先生に教えてもらったことだから。

三浦先生の作品のおかげで、未熟者だったぼくも、今はOWL magazineというプロジェクトを初めて、多くの仲間と道を共にしています。

旅というテーマを扱うことになったこと、そこで出会った仲間と共に戦い続けるという道を選んだこと、これは紛れもなく『ベルセルク』の影響です。

心よりご冥福をお祈りします。


「やっぱり死ぬ時ゃひとり 前のめりってのがいい」(ゴドー)

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