美術史を学ぶ僕の思った、宗教美術と現代美術

 初めまして、この文章を開いてくれた方へありがとうございます。
 自分の考えをすこし可視化したかったので一筆したためてみました。

 さて、僕は現在大学院生で美術について調べたりなどをしております。
 特に日本の彫刻史について研究しているのですが、僕は大学に入る以前は美術=絵画のイメージしか持っておりませんでした。立体美術や宗教芸術について学び、芸術には視覚的要素だけでなく、視えない「観念」をいかに表現するか工夫が凝らされているのだと気づきました。
 浅学な自分ではありますが、宗教美術と現代美術の何が異なるのか鑑賞者と作品の関係性から考え、これからの美術と美術史を考えるきっかけとして書き留めていこうと思います。

「観念」の視覚化

 まず美術作品は全て作者が眼だけでなく、五感で読み取ってきたこれまでの情報やそれを基に構成されたイメージの出力物であるという前提があります。
 とどのつまり、美術というのはその作者にとってのもう一つの現実であり、鑑賞者はそれを垣間見ることができるということですが、もう一つ、美術にはそれを理解してもらうために記号を散りばめる必要があるのだと思います。
 よく言われる現代美術が難解で、中世の美術はじめ宗教を描く芸術はモチーフがキリスト教であれ仏教であれすぐ理解できるということは、鑑賞者と作品をつなぐ記号(コード)として経典に描かれる姿であったり持物(アトリビュート)が散りばめられており、共通のコードを理解しやすくしていることに起因しているのだと思います。(現代美術にも記号や観念があり理解する鑑賞者によって経済的価値を付与されるのだろうと思います。)
 こうした側面から考えると美術は文字や記号と親戚にあるのだと思いますし、始まりの時点ではそうした区別がなされなかったのかもしれません。(いつから文字と絵が全く異なるものとして認知されるようになったのだろうか、甲骨文字なんかは人為的に描く文字というより自然現象を記号として観測するようになった始まりだから象形文字と異なる過程で発達するのだろうかなど考えてしまうのですがそれはまた別のお話)
 ともかく、過去の宗教美術を見ると分かりやすいことが大事なのかなと思います。誰を描き、どこで何をしているのか、鑑賞者を対象に想定した設定どおり描くことが必要になってくるのだと思います。
 特に宗教美術は鑑賞者にその宗教の持つ目的や意義を的確に伝え、或いは物語などを描くことで具体的なイメージを展開できるよう工夫します。より効果的に伝わるよう描く姿を強調して表現することなど、それまで存在している型に加えて作者の持つ個性などを写したものが次の世代で新しい型になるのかなと思います。

現代美術のコード

 では現代美術はどうなのでしょうか。作者自身が制作し表現したい理由を持っているということが大事になっている、そうであって欲しいというのが個人的な見解ですが、実際は流行りの概念が存在し、それに寄る作品に経済的な価値が付与されるというのが現代美術でスタンダードになっているのかなと、私が読んだ書籍からはそのように読み取れるのかなと思います。
 つまり流行りの概念=コードであり、またこれまでの流行りに存在しなかった新しい概念を叩きつけることが現代美術に求められることなのかもしれません。
 経済的な価値を付与された作品或いは作者だけが美術界に認められるという仕組みがあるのか存じ上げないですが、少なくとも個人が生活を営むために描く職業としての絵描きでは、資金を提供するスポンサーやその周囲の要望に沿った作品を提供する必要があり、その姿は宮廷画家と変わらないものだと思います。
 一番異なる点は型通り行う必要が無い点でしょうか。例えば仏像であれば弟子が師の作品を真似したり仕事を手伝う中で身につけるのだと思うのですが、現代であればほとんど自分で学び自分で身につけ、ひたすら描く中で自分の持ち味を磨いていく作業であり、批評から気づきは得てもどう表現するかは本人の意志によるものであってそれを強制することはないように思います。
 であればイラストはどうなのでしょうか。(ここでは現代の視覚芸術全般含め現代美術として包括して一度考えてみたいと思うので容赦いただきたいです。)

ひとりひとりが「作品」を制作する時代

 アニメや漫画の影響は大きく、僕の身の回りでもそうですが、近年ではイラストレーターの卵となりうるようなレベルのイラストを趣味で描く方は珍しくなくなってきたかと思います。あるいはAIが小規模なビジネスでのイラストを担うなど、これまで仕事として存在していたイラストの水準が上がってきているのかもしれません。(僕個人はAIイラストを肯定も否定もできない立場ですが。)
 ここで考えたのは、イラストを生業にする人と違い、同人活動などをはじめ趣味として続ける人はどこに位置付けられるのだろうと考えました。
 例えばこれまで二次創作を楽しんでいた人が、その技術から一次創作を手掛けてプロの世界へデビューする方などもいます。同人活動の基本はやはりその作品を仲間で共有したり、発想を形に残すことであり、核となるのは創作自体を「楽しむ」といったことではないでしょうか。
 創作への考え方は人それぞれであり、もちろん生業として一番その本人に合った職業であったという理由もあるとは思います。ですが、あらゆる表現手段や媒体が身の回りにあふれる物質文明で絵を描いたり立体物を制作し続ける意味というのは、最後にはやはり作品に残したい意志と制作自体が楽しいということなのだろうと思います。
 ただし美術として何か観念を持つ作品かという部分においてイラストは美術と異なるものと見られてきたのではないかと思います。これまでのイラストはキャラクターデザインを意識した商業的な展開を重視したものが非常に多かったですが、最近では作家自身の持つ独自の表現や世界観が注目されることから特にデジタルイラストなどにも美術としての眼差しを向ける方も出てくるのではと思います。

おわりに


 思うに現代美術と過去の宗教美術は、経済価値や職業としての画業を中心に据えると同様の構造であり作品に散りばめる記号のみがすり替わっただけだと考えますが、それだけではないのだと思います。芸術を享受する人々にとって観ることも描くことも芸術へ関わりたい気持ちから来るのだし、きっとそういった作品を楽しむ気持ちこそが人間の文化を築き上げる大きな要素になっているのだろうと思います。職業としてでなく描きたいから描くというスタンスは、かつて日本の縄文時代の土器や土偶といった物に機能でなく視覚的な面白さとして模様を作りこんだように、「楽しいから・面白いから」という理由で続ける創作こそ今日に至るまで人間が芸術を生み出し続けている核心なのではないだろうかと考えました。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。一度書き起こすことで反省すべき部分が見えてきて、考えの論拠を明示したり、具体的な理論や手法について説明しながら論を展開したり、出典や画像を加えることでより伝わりやすい文章を描けるのではないかと思いました。月一を目途に何か文章を残せるよう頑張ってみようと思います。



 


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