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舟に行く

 ばつん、と。骨を切る音が鳴り響く。そうか、これがいのちの音か。


 確か、高校生くらいの時に一度だけ家庭科の授業で魚を捌いた気がする。でも、血が出るとか生臭いとかでみんなあんまり真面目にやらなくて、結局班の中の得意な子が率先してやってくれたっけ。

 食べることは好きだけど、料理はそこまで得意じゃない。魚は美味しいから好き。でも、わざわざスーパーで買って調理するのが億劫だし、実家に帰る時と外食の時くらいで十分かな。
 そういう風に生きてきたから、魚というものは既に調理されたあの切り身の姿と、たまに水族館で見るイメージくらいしかなかった。

 社会人になって出来た恋人は、無類の釣り好きだった。釣り人というのは、一概には言えないが、とにかく魚という生き物が好きで、釣ることももちろんだが家で調理することや食べることも楽しみの一つらしい。同棲を開始した当初は、魚なんてわざわざ釣るより既に捌かれているものをスーパーで買ってくる方が楽なんじゃない?と思っていた。スーパーでも買わないくせに。

 しかしそんなひねくれた考えはすぐに覆ることとなる。
 恋人はとにかく料理が上手かったのだ。彼が釣ってきた魚介の料理は格別だった。胃袋を掴むつもりが、掴まれた。
 あるときはアジ、あるときはサバ。イワシ、タチウオ、ヒラメ、カンパチ、キス……と、挙げればキリがないほど、様々な魚が食卓に並んだ。
 魚たちは刺身や、海鮮丼、焼き魚やムニエル、アヒージョやお茶漬け、天ぷらなどに姿を変えて食卓を彩ってくれた。当たり前といえば当たり前だが、魚によって味わいは全く異なる為、向いている調理法が違う。この魚は身がきめ細かいとか、この魚はムニエルには向かないとか、骨が多いから切って調理しなければいけないとか、卵がついている魚が多い時は「産卵期なんだね」などと話しながら恋人と食卓を囲む時間は私にとって幸せのひとかけらとも言える時間になった。



 ある時、彼が安物の包丁を「使いづらいな。」と憂いた。私は二つ返事で「合羽橋に行って、良い包丁を買おう!」と提案した。調理器具といえば合羽橋。東京に来る前からなんとなく知っている知識だったが、奇跡か運命か、嬉しいことに合羽橋は家から歩ける距離だった。

 包丁屋に入ると、ズラリと並ぶ大小様々な刃物。鈍く光る銀色に私たちは圧倒され、萎縮していた。威勢の良さそうな男性店員さんが「何かお探しですか?」とにっこり笑顔で一言。

 「魚を調理したいので、出刃包丁と柳刃を……」恋人が遠慮がちに言うと、店員さんは頷いた。魚を捌く用の包丁と、刺身を切る用の包丁が必要だった。家の三徳包丁一つで魚の下処理と繊細な刺身の作業を済ませてしまっていたけれど、こうして改めて考えると包丁にもそれぞれ役割があるらしい。

 店員さんは慣れた口ぶりで軽快に、それでいて丁寧に様々な包丁の説明をしてくれた。そして最後に自信たっぷりに一つの包丁を手に取った。
 「これなんか、いいと思いますけどねぇ。舟行って包丁です」
 「ふなゆき」

 聞き慣れない単語を繰り返す。どこか風流な雰囲気が漂う名前だ。店員さんは私たちに包丁を手渡した。ずしっと重い感覚。出刃包丁より細く、柳刃包丁より短いそれは不思議と手にしっくりと収まる存在感だった。

 「これはね、出刃と柳刃、両方の機能を併せ持った優れモノなんです。漁師さんとかが使う包丁です。ホラ、漁師さんって船に何本も包丁を持って行けないでしょ。これ一本を船に持って行ったんです。だから、舟に持って行く包丁って書いて、舟行」

 おお。小さな店内に私たちの歓声が響いた。



 数日後、恋人がアジを山ほど釣ってきた。いつもならここで彼が黙々と一人厨に立つのだが、この日は違った。なんと言っても、今日は舟行のデビュー戦だ。思わず興味津々に身を乗り出した私に恋人は挑戦的に笑う。
 「やってみたら。せっかくだから」
 「うん、せっかくだからね」
 たくさん釣った魚は今しがた、目にも止まらぬ速さで恋人によってほとんど全てが三枚に下ろされた。最後のアジが残ったところで私は恋人に包丁を手渡される。やっぱりずしっと重い。

 「鱗を取ったら、ゼイゴもね。薄皮を引いて……手を切らないように気をつけて」
 恋人に言われるままに手を動かす。確かにこの包丁は一歩間違えば私の手なんか簡単に切り裂いてしまえそうなほど鋭く、よく切れた。ぐっ、かちかち、と音が鳴る。
 「頭は斜めに、力強く切り落としてね」
 少し濡れたアジの表面に慎重に包丁を合わせる。思い切って刃を立てると、予想以上の衝撃が手に伝わった。

 ごりっ、ばつんっ。

 静かな台所に、しっかりと骨を切る音が響いた。
 野菜や肉を切るのとは違う。考えてみれば、魚というものは肉とは違い、鱗のついたそのままの状態から売られ、一般人でもイチから捌くことのできる唯一の生き物かもしれない。それがどれほど貴重で、尊いことかをこれまでの私は気づきもしなかった。私は、いのちを捌いているのだ。

 その瞬間、私は今対峙している魚がほんの数時間前まで生きていたことをごく自然に悟った。それほどまでに、骨を切る感覚というものは私にある種のひらめきを与えたのだ。
 そうか、この魚はこの艶やかな身を揺らし、海を泳いでいたのか……。

 黒い皿に丁寧に並べたアジの刺身は、まだまだ完璧とは言えない出来だったけれど薄桃色と銀色を纏った柔らかな輝きに思わず喉が鳴った。私はこの包丁を使って、この”生き物”を”食べ物”にしたのだ。

 口の中に甘く広がるアジの脂に自然と口角が上がる。
 私は見知らぬ漁師に想いを馳せた。海の上では、骨を切る音は聴こえないかもしれないけれど、きっとこの手のひらの感覚は同じはずだ。どこかの海の上で、どこかの漁師もこうやっていのちを捌いているのだろう。

 「ねえ、次はいつ釣りに行くの?」
 舟行を携えた私が立つこの小さな厨は、もはや舟の上だ。


                         

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