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永遠のソール・ライター 鑑賞記録 波多野菜央

シンガーソングライターとして活動していると、写真を撮ってもらう機会が多い
アーティスト写真、ジャケット写真
ライブ中、プロモーション中…

どのカメラマンさんの写真にも
それぞれの特徴や個性、メッセージ
癖(クセではなく”ヘキ”)が感じられる

写真というのはとても奥が深いと思う
記録、宣伝用、商品にする写真
何の意味がない写真も良い
音楽と似ているところも沢山ある

私はソールライターの映画もまだ観ていないし
写真の知識も全然ないけど
心惹かれるまま観に行ってきた感想を残そうと思う

————

展示はモノクロ写真から始まる
白と黒の濃淡で映し出されるニューヨークの街、生活する人々、変わりゆく天気
実に日常。
何の変哲もない日常

ソールライターの写真の多くは
上から街を見下ろしたり
手すりの隙間から人々の生活を
覗くような構図だったり
陰に身を潜めて店先を眺めていたり…
はい、撮りますよー!
そんな言葉の聞こえない写真達だった
(もちろん雑誌やモデルを撮ったものも沢山展示されていたけど)

私はその果てしない日常を撮る行為への
変態さを、とてもじゃないけど無視できなかった
その風景が当たり前であるほど
なぜそこを映したの?何がその心を動かしたの??と聞きたくなる
きっと野暮で意味のない質問だ
(実際ソールライターは、なぜ〜?の質問が嫌いらしい。危ない危ない)

厳格な父のもとで育つ中、芸術の自由に触れ
逃げるようにニューヨークへきたソールライター。
最初は画家を目指していたが
生活の為、雑誌のカメラマンとして働くうちに、写真家としての道が開けたそう

「カラー写真のパイオニア」と呼ばれた彼
展示は、ある写真を境に
パッとカラー写真に変わる

ここで私は衝撃を覚えた

切ないのだ。

今までの自分の感覚ならば
カラーよりもモノクロ写真の方が
ノスタルジックさやセンチメンタルな印象を受けていたはず

でも違った
淡さともまた違う。
静けさの中にポッと灯る火のような温かさが
私の心をギュッと掴む

ソールライターの写真の
色味の切なさの正体は何なんだろう?
街のざわめきと人々の孤独
雨に浮かぶ傘と雪に埋もれる看板
目の前を通り過ぎるタクシー
全部全部日常なのに
こんなに美しいのはなぜだろう?

彼の色彩感覚や特徴的な構図
会場を出る頃には
全ての虜になってしまった

50代後半で商業的な作品を撮ることをやめ
隠遁生活を送ったソールライター
第一線で写真を撮り続けていたら
また違った作品が生まれていたのだろうか?
彼の生い立ちや人生観に更に興味が湧いた

これから少しずつでも
知っていきたいです

自分にとっての幸福はどこにあるのか?
そんなところまで考えさせられた展示会

滑り込みで行けてよかった…!!

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