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ボーはおそれている 鑑賞記録 シンガーソングライター 波多野菜央

おそれてきた…!

まさに「ミッド・サマー」を観に行った時と同じ”挑む”ような気持ちで席に着く。
楽しみ〜!とはちょっと違う、生きて帰ってくるぞ…と言う静かな決意があった 

鬼才アリ・アスター監督3本目の長編映画であり、主演は名俳優ホアキン・フェニックス。
監督、ホアキンファンはもちろん待望の一作だし、ポスターから漂う不穏な雰囲気に惹きつけられた人も多いだろう。

3時間と言う長尺の理由に「膀胱の限界」を挙げた監督。これは観客への挑戦状なんだ。始まる前から身体に力がはいる。

超不安症で怖がりな主人公、ボー。
母の怪死をきっかけに奇妙な帰省の物語が始まる…

あらすじを端的に表すと、この2行で済んでしまう。ただ結末まで、私たちはずっと言い得ぬ不安感と恐怖に晒され続けるのだ。

冒頭から地鳴りのような、えっ、これスピーカー大丈夫?レベルの重低音が襲いかかる。
そこからはあらゆる方面から、色んなテンポと手法で不安を煽られる。油断禁物。地獄のコースターに3時間乗せられている気分だった。

ページをめくるたびに悪夢。束の間の平穏も波にさらわれ、幻だったことに気付く。
夢でも現実でも最悪。ボロボロになっていくボーの絶妙な表情のポスターが頭をよぎる。

本国でも賛否両論あった本作。日本でも様々な意見があるが、そんな議論も無駄に思えるアリ・アスター節。私たちは望んで彼の世界に飛び込んだのだから、あのカオスを浴びられる時間を、素直に喜ぶべきなのではないかと感じた。

とはいえ大絶賛な声もあるわけで
かなり空想的な物語や展開に思えても
実際にこの光景や思考が当たり前!分かる!と
ボーの不安症に共感する人も多いだろうし
逆にわかりすぎて苦しくなる人もいるかもしれない。
私のように全面的に理解できなくても、たまにそんな感覚になる…というシーンがあったりもする。
この作品は、見る側の精神状態と考え方の特性なんかもかなり関わってくる、というのが私のひとつの分析だ。

個人的に鑑賞前から楽しみにしていたアニメーションのパート。
ストップモーションアニメ「オオカミの家」を手がけたクリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャが参加しているではないか!
「オオカミの家」を北九州から別府まで観に行って、その衝撃に打ちひしがれた身としてはワクワクせずにはいられない要素だった。
しっかり彼らの色が出ていたコラボレーションだったし、長尺の映画だからこそあのパートが良いスパイスになっていた。

文脈やお決まりの展開を清々しいほど無視していると思いきや、ラストスパートに向けてしっかりと見所を持ってくるところがまた憎い。

ボーは何をおそれているのか?
元凶はなんなのか?
果たしてそれは本当に元凶なのか?
考察の余地を持たせてくれる映画でもあった。

アリ・アスター監督のイメージを体を張って具現化してくれたホアキン・フェニックスと製作チーム。誰がなんと言おうと凄すぎる。

ひとまず、生きて帰って来れて良かった。

シンガーソングライター 波多野菜央

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