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お弁当が愛ならば(元夫の悪口①)

今日は行事があって上の娘が弁当もちだったので、朝勉強の時間をお弁当作りにあてました。
ツナマヨおにぎり、卵焼き、グラタン(冷食)、赤いウインナー、さつまいもの甘煮、小松菜のおひたし(冷食)。

好きなものしか入っていないお弁当を食べて、発表を頑張れたみたいです✨
見に行きたかったけど、仕事が休めなかったのよね。。。


お弁当というと、否が応でも、元夫に毎日お弁当を作っていた日々を思い出す。

5時に起きてお弁当を作るも(家を出るのが5時半〜6時)、後から起きてきて「疲れたから今日は休む」と言われる日がよくあった。

または、「気分が乗らないから」と昼前に帰ってきてしまう日もよくあった。

「お弁当、お昼に食べてね?」と言っても、「休んで家にいる時まで弁当なんて食いたくない」と言われた。

それに対して私が怒ると、今度は「あとで食べるから取っておいて」と言って、結局は食べない、というパターンになった。

それに対して私が怒ると、「じゃあ明日持っていって食べる💢」とか言い出す。
さすがに衛生的にそれは無理で、、、

私は朝に早起きして自分で作った弁当を、自分の手でゴミに捨てた。

弁当を捨てるということは、お金を捨てることでもあるし、作った人の時間や、気持ちを捨てることと同じ。
それを、作った本人にさせる。
モラハラだよ。


弁当箱も、家に持ち帰ってこない日がある。
何日か放置してから、蓋をしたままシンクに黙って置いていく。
自分で洗うでもなく。
蓋を開けて水に浸けるでもなく。
「ごめん」も、「洗ってくれる?」もなく。

臭くなった弁当箱を開けるのも、洗うのも私は嫌で、そのまま開けずに何個捨てたかわからない。

それでも、毎日「弁当代」と言って1000円を渡すのは、経済的に難しかった。
だから、私は悔しい、悲しい、虚しい気持ちに苛まれながら、弁当を作り続けていた。


離婚した今、もう弁当なんて作っていない。

最初のうちは自由に買い食いしていた元夫だけど、「これを続けることはできない(金銭的に)」と気づいて、自分で弁当を作るようになった。
前の日の冷や御飯と、自分で買ってきた冷凍食品を2品いれただけの、質素な弁当。

そして、当たり前のように蓋もあけずにシンクに置いていく弁当箱を無視してやったら(奥さんじゃないのでね。)、何日かしたら自分で開けて洗っていた。

次の日からは、蓋を開けて水に浸しておくようになったので、食洗機に一緒に入れてあげている。
食洗機非対応のものを買ってきていたけど、食洗機に入れる。
壊れても知ったこっちゃない。
私が洗ってあげることは、もう無いのだよ。


とにかく、これで、かつて自分より早く起きて、火を使って料理をして弁当を用意していた私の労力や、それがどれだけ家計にとって節約になっていたか、、弁当の有り難さがわかっただろう。
そして、臭くなった弁当箱を洗う人の気持ちや、煩わしさもね。

そうやって作ってもらった弁当を簡単に「いらない」と言って、ぞんざいに扱い続けてきたことへの罪を感じていてほしい。

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