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ターニングポイント#2

昨日の続きです。
ネアカを演じていましたが、心のどこかでは挫折感、孤独感を感じ、上辺の自分を演じていたように思います。

14歳の私は、いったいどんな道を選べばよかったのでしょう?


もっと、正面からぶつかればよかった?
誰かに相談すればよかった?
友だちに打ち明ければよかったのでしょうか?


大げさかもしれませんが、人生のターニングポイントがここだったように思います。


いずれもできませんでした。



とにかく、苦しいけど耐える。

学校に行きたくなくても歯を食いしばっていく(休むということを選べる時代ではなかった)。家に帰って空を見上げて涙する。それしかできなかったのです。
14歳の私は、さらに自分を責め続けました。
野球部のキャプテンにも立候補していた自分でしたが、クラスメートとうまくいかないということは、チームメートともうまくいかないということです。4クラスしかない小さな学校ですから・・・。

野球部も、同級生がまとまりませんでした。私と中立の立場の友達が3人。残りの7人は、反感を持っているようで、指示しても動いてくれません。チームも強くなれず、バラバラのまま・・・。
キャプテンになった自分を責めていました。
「自分がなっていなかったら・・・」


想いでの修学旅行

相変わらず、クラスメートとはうまくいきませんでした。
中学2年の秋に行った修学旅行の思い出は、・・・寂しいものでした。

なぜって?
どんなに自由時間が苦しかったことか?
博物館を自由に見学する時間がありましたが、クラスメートと周るという約束がありました。

自分は1人でした。声もかけられなかったし、誰もかけてくれることもありません。
わたしは、隠れるように周っていたように思います。他のクラスと何となく混じってみたり。
宿の中がさらに苦しかったです。
夜、消灯後の暗い中、友だち同士がいろんな話題で盛り上がってる中、私は入れず(入ろうとせず)押し入れの中に入りました。押し入れの中で、眠ったんです。
修学旅行は、寂しい思い出になってしまいました。




さらに自分が考えたことは・・・

しゃべれない自分を責めていました。
もともと人見知りで、あまりしゃべる方ではありませんでした。家庭でもそんな自分に「もっと話してよ」ってよく言われていました。

しゃべれないから、友だちができない!

と思い込んでしまったところがあります。
もうそれから、会話・雑談が苦しくなりました。だって「しゃべれない」んですから。

もっとありました。
中学2年生に1学期のテストで初めて学年1位になったんです。
でも、その直後のクラスメートとの溝。
成績を悪くするようになりました。宿題をわざとやらなくなりました。
今考えると、???って思うことも多々ありますが、14歳の自分は精一杯考えてそんな行動をしていたんです。


ターニングポイントとなった14歳。
自分は、自分のことを大切にせず、周りと同調しようとしていました。






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