見出し画像

40年前の小学校生活とは?

こんにちは。

今日も暑い一日でしたね。

でも夕方、バケツをひっくり返したような豪雨になりました!!



さて、今日は、私の小学校時代を振り返ってみたいと思います。
(現在では教育上問題?ということもありますが、事実を尊重して書きます)

40年前の小学校生活

1・2年生の時


1年生の時のT先生を僕たちは“ゴリラ先生”と呼んでいました。
今では珍しい一年生の男の先生でした。先生は怖かったです。
男子五・六人でちょっとした悪さをした時です。先生はその男子(私を含む)を教室の前に出して、縄跳びで縛りました。ギューッとです。
束になって縛られました。
「今度したら許さないぞ」
と先生は言いました。その時の声、場面をはっきりと覚えています。
もちろんそれ以降、「その」悪さはしませんでした。



冬のある日、先生は石炭ストーブの上で、コッペパンを二つに開いて、中を焼いていました。
カチコチに凍ったマーガリンを塗ると、トロッと溶けてとてもおいしそうです。それを見ていた僕たちは、
「先生、僕たちにも焼かせて」
とせがみました。先生は、
「ダメ」
と譲りません。
「そんなに焼きたいなら先生になれ!」
と言っていました。



よく考えると「先生」を意識したのはその時が初めてだったでしょうか。
怖い先生でしたが、プールで着替えるときは
「後ろを向いて」
と言いながら、タオルなしで着替えたり、一緒に遊んだり、とても「近い」先生でした。
私は大人しい性格でしたが、「内に秘めたファイト」を引き出してくれた先生でもありました。
2年間お世話になりました。


3年生の時

「先生、ビンタして、ビンタ。」
と同級生が先生にお願いしています。
三年生は新任のM先生でした。
「忘れ物をしたらビンタ」を子どもたちで決めてお願いしているのです。
先生は、新任でもあり、僕たち子どもの言い分を聞いてくれました。
「分かった!」
先生は、忘れ物した子をビンタしました。
「バチン!」
M先生のビンタ第一号、それは私でした。今でも忘れません!
当時は、ビンタしてくれるほど、
「自分たちのことを思ってくれている」
という意識が子どもの世界にもあったと思います。
むやみやたらにそんなことをする先生はいませんでしたから…。


今日はここまでにしたいと思います。

new face!


ふり返り

時代は変わりました。
今だったら、当然、人権問題になっているところですね。
でも、「信頼感」は先生と子どもたちの間にはあったんですよ!


事実をそのまま書きました。
そんな時代もあったんですよね。


今日(明日)があなたにとってよい1日となりますように!





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?