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過去の思い出 2006年 第52回 オールカマー

過去のレースの思い出、馬券自慢を勝手に語ってみる企画。
今回は2006年のオールカマーを振り返る。


2006年当時の中長距離戦戦の主役はディープインパクト。しかしディープインパクトはこの年に凱旋門賞へ参戦の為にフランスへ遠征で、天皇賞秋への参戦しない方向であった。その為2006年の天皇賞秋は主役不在の中での混戦が予想され、その天皇賞秋に向けての重要な一戦となるのがこの2006年のオールカマー。

ただこのオールカマーもかなりの混戦模様。1人気は上り馬で成績の安定感抜群のエアシェイディ、2人気が皐月賞2着、JC2着の実績馬コスモバルク、3人気が2走前の小倉記念でレコード勝ちをしているスウィフトカレント、4人気が中山の重賞を3勝もしているバランスオブゲーム、5人気が重賞で手堅い走りを見せるヴィータローザ、6人気がオークス、ヴィクトリアマイルで3着があり牡馬相手のレースに果敢挑戦してきたディアデラノビアだった。

1人気のエアシェイディでも単勝は4倍台で、6人気のディアデラノビアでも10倍を切る9倍台の単勝オッズ。人気は割れているがどの馬にもチャンスありと思えるレースでもあった。

このレースを制したのは4人気バランスオブゲーム
逃げるメジロマントル(10人気・10着)がレースを引っ張る中で終始好位内目を楽に追走する形。向こう正面から11秒台半ばの持続ラップを踏む形から、4角で楽に先頭に並びかけに行って、直線序盤でグンと加速を見せても鮮やかに抜け出す競馬。ゴール前で後続勢の追撃に遭ったが、直線序盤での抜け出した際にリードが効いてハナ差凌ぎ切った内容。ゴール前では辛勝に見えたが、平均持続ラップの展開で流れに乗って直線でひと足を使って抜け出したのは流石のひと言だろう。

バランオブゲームはこれで何と重賞7勝目で、そのうち中山コースの重賞は4勝目となった。今振り返ってみても先行力を含めた前半要素が高い馬だったし、直線序盤で加速を引き出す形を得意としていた馬。前後半のバランスが問われた中で強みを発揮できるタイプだったし、比較的前半が流れやすい中山のコース形態はよほど合ったのだろう。

ここで勝ったバランスオブゲームは当然天皇賞を目指すことになる。中山巧者のイメージがあったのは事実だが、実際に東京の毎日王冠勝ちがあったり、新潟開催だったセントライト記念勝ちの実績もある。左回り、東京コースという条件を苦にする要素は無く、当時すでに現役最強馬と言われていたディープインパクトが不在であれば勝てるチャンスは十分にあったと考えられる。

しかし天皇賞秋を目指しての調教中に左前脚を故障。浅屈腱不全断裂で競争能力喪失という診断でもあり、そのまま惜しまれながらの引退。後に種牡馬となったが目立った産駒を輩出することなく2012年に種牡馬を引退している。

ちなみにバランスオブゲームの馬主さんは競馬ゲーム「ダービースタリオン」薗部博之氏。また半弟に京成杯やダイヤモンドS連覇などの実績があるフェイムゲームがいる。世間一般ではバランスオブゲームはダビスタのオーナーという感覚の方が強いかもしれない。

このレースでハナ差2着だったのは古豪コスモバルク(2人気)。この時点で僅かに斜陽傾向にあったが、その後も長く一線級で活躍。2007年には物議を醸しだす事もあったが、2009年末で日本での現役を終えて海外への移籍を目指すも後に故障で断念。種牡馬にはならずに故郷で功労馬として繋養されているらしい。

牝馬ながら3着にはいったのはディアデラノビア(6人気)。勝ち馬とは同タイムだし、牡馬相手にかなりの善戦と見えたレース内容。ただこのレース後も府中牝馬Sで3着、続くエリザベス女王杯でも3着など馬券圏内に入るも勝ち切れずの内容続き。しかし翌2007年には京都牝馬S、愛知杯と牝馬限定の重賞を2勝している。

3人気のスウィフトカレントは追込み届かずの4着惜敗だったが、続く天皇賞秋で0.1秒差の2着好走を見せたものの、これが最大のハイライト。後に金鯱賞で2着などの結果も残したが、成績は下降線の一途を辿って一時はダート路線にも挑んだが結果を残せず。2009年に現役を引退し種牡馬入り、産駒にも活躍馬が出てこない状況が続いてた中で2022年に死亡している。

1人気に支持されたエアシェイディは0.1秒差の5着。ただこの後も重賞戦線で安定した走りを見せて9歳まで現役を続行。9歳の日経賞で2着に入るなどの活躍を見せたが、重賞勝ちは08年のアメリカJCCのみ。しかし重賞連対回数は9回を数え、とにかく安定した走りを見せ続けた馬。2011年の10歳となるシーズンに京王杯SCに向けての調整中に故障発生。2006年オールカマー勝ち馬バランスオブゲームと同じ前浅屈腱不全断裂を発症して、競走能力喪失と診断されて現役を引退。後に韓国に渡って種牡馬入りしたというが、その後の詳細は不明である。


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