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過去の思い出 2005年 第53回神戸新聞杯


過去のレースの思い出、馬券自慢を勝手に語ってみる企画。
今回は2005年の神戸新聞杯を振り返る。

 
2005年の牡馬クラシック戦線はディープインパクトが主役。この時すでに皐月賞とダービーを制しており、この神戸新聞杯は最後の一冠菊花賞に向けての一戦だがなんと単勝1.1倍という絶対的な支持を得る。相手候補で見ても2月の共同通信杯以来の出走で骨折明けでもあったストーミーカフェが2人気、皐月賞3着だがダービーで10着と崩れたアドマイヤジャパンが3人気であり、相手関係を見ても勝って当たり前の雰囲気があった。
 

レースは若干の出負けはあったもののディープインパクトが後方2番手から3角過ぎから大外を回って馬なりで一気に進出。4角で好位の外まで上がってくると直線は軽く仕掛けられるだけで即座に伸びを見せ、最後1Fで完全に抜け出してゴール前は流す余裕を見せての完勝。後続に2馬身半の差をつけける圧勝で、やはり能力の違いを見せつける結果となる。

この時は勝負所でマクリとまではいかないが馬なりで上がって行って、直線入口で好位の外或いは先頭に立つというレース振りはディープインパクトの代名詞的な内容の競馬でもあった。

ただディープインパクトの輝かしい戦績の中に置いてこの神戸新聞杯のレースを語られることは少ない。この後に菊花賞を制して三冠馬となるのだからその前哨戦の事など誰も触れないし、取り上げられるのも当然菊花賞での三冠達成のシーン。さらに古馬になっても圧勝のレースを続けていくこの馬にとって、この神戸新聞杯で後続につけた2馬身半は地味に映るのが影響していると思われる。

あと個人的な馬券ではこの時に馬単で的中。圧倒的な1人気馬からの馬単だから配当は安くて僅かに520円。馬連でも500円だったから普通に考えれば馬単はリスクのある馬券だったと思うが、それでも当時は馬単でしか買えないだろう…という思いの方が強かった。ただ単勝人気順で1人気と5人気の組み合わせで僅かに520円は安すぎる。当時オッズをほとんど見ない状態で馬券を買っていた時代で、的中して喜んでいたら利益は微々たるものだったのを覚えている。

勝ち馬ディープインパクトは先述のように菊花賞を制して三冠馬に。この年の有馬記念で2着に敗れたものの、古馬になってからの大活躍ぶりは今更語る必要はないくらいである。
 

このレースで2着だったのは5人気のシックスセンス
実績的には皐月賞で2着、ダービーで3着があったがストーニーシー(2人気)、アドマイヤジャパン(3人気)、さらに良血であったのは認めるが500万特別を勝っての参戦だったマチカネキララ(4人気)よりも低い5人気に甘んじたのは意外。元々勝ち味に遅く人気に成り難いタイプではあったが、このレースでの5人気は如何にも舐められすぎの感はあった(ただ先述の個人的馬券の件にもあるが圧倒的1人気の前では単勝人気順などほとんど関係ない状況だった)。

シックスセンスはここでの2着で一気に株を上げて続く菊花賞ではようやくディープインパクトに次ぐ2人気に支持されるも1.1秒差の4着敗退。このレースで先着したアドマイヤジャパン、ローゼンクロイツに先着されており距離の壁を感じさせる結果となった。ただ菊花賞後には香港ヴァーズに挑んでウィジャボード(欧州の年度代表馬)相手に2着好走。翌年の京都新聞杯で念願の重賞初制覇を果たすも後に屈腱炎を発症して引退した。
 

3着のローゼンクロイツは続く菊花賞でディープインパクトから1.0秒差ながらも3着。古馬になってから善戦はすれど勝ち切れないレースが続いたが、2年後の2007年には中京記念、金鯱賞と重賞を連勝するなどの活躍を見せた。しかし2008年金鯱賞でレース中に故障発生。レース後予後不良と診断されて残念ながら安楽死となった。

4着のマチカネキララは名牝ケイウーマンの仔。神戸新聞杯後に自己条件から出直しを図ってあっという間に昇級して来るが、重賞で結果を残せず2008年には地方競馬に移籍したが結果を残せずに終わっている。
 

5着だったのは2人気のアドマイヤジャパン。続く菊花賞で果敢な先行策を見せて2着に入るなど時々好走するという印象が強い馬だった。菊花賞後はJCに参戦し穴人気っぽい感じになるも11着大敗。翌年の大阪杯をステップに天皇賞春への調整中に屈腱炎を発症。同年秋に引退し翌年所牡馬入りも産駒に活躍馬は出ていない状況。2018年に種牡馬を引退して乗馬となっているが、近年は何故かTVで寝転がって寛ぐCMが流れており、とりあえず元気に過ごしている事が伺える。
 

ちなみにこのレースでディープインパクトから2.6秒差の10着大敗だったのが後にダート路線で大活躍を見せるヴァーミリアン。この神戸新聞杯で芝路線を見切ってダート路線に転向。いきなりエニフS、浦和の重賞レースを制するなどダート適性の高さを見せ、その後長くダート路線で活躍。2007年にジャパンカップダート、2008年にはフェブラリーSと中央のダートG1を連勝。2008年に8歳で現役を引退するまでに7年連続重賞勝ち、ダート競争賞金獲得額1位などの記録を樹立している。引退後は種牡馬になってダート馬を中心に活躍馬を輩出しているが、現在は種牡馬を引退して乗馬になっているとの事。
 

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