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母の旅立ち、私の見送りへの道 1月編① 1/1~1/20 第5回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。

今回はついに家の中で動けなくなる状態になった1月の母の日記、更に私が訪問医師に見せる為に書き始めた独自の看護ノートからの抜粋、さらに当時の回顧録を元に1月20日までの様子をお伝えします。


1月

1月1日 

元日。おせち料理と少量のお屠蘇を飲む。
お屠蘇はどうか?と思ったが縁起物なので何とか飲む。

1月3日 【食事量減】

身体中の腫瘍としこり目立つようになる

【補足】

元旦もそこまで食べた感じは無いが、この日から一気に食が細くなる。12月下旬からほとんどおかゆをベースとしていたが、この頃から副菜を殆ど食べられなくなった。味覚がおかしいと訴えていたし、少なからず嘔気も影響していたと思われる。

1月4日 【治療しないことの確認】

O病院
今年初のO病院へ。
家族が付き添ってくれた。

皮膚科
皮膚科にて今後の治療をしない事の確認と話し合い。

緩和ケア科のあるS病院とH病院への紹介状を貰う。
またガン支援センターでH病院の緩和ケア科の資料を貰う。

トラマール(痛み止め)を朝昼晩の3回に増やしてもらった。
更に吐き気止めのドンペリドンも貰った。

【補足】

12月までは何とか自力で病院へ行っていたが、この日は私がまだ正月休みの期間内でもあった為に付き添ってO病院へ。杖をついてではあるが、この頃はまだ全然歩くことは出来る感じだったが…。

1月6日 【訪問医療の開始】

訪問医療の先生(Iクリニック)
訪問看護師さん(A看護ステーション)と初顔合わせ

IクリニックのI先生。A看護ステーション代表のHさんの訪問。
現状の母上の症状把握の為、簡単な診療。体中に腫瘍としこりを見てもらう。

左臀部が特に痛い。
左首~胸までのしびれを伝達。
治療はしない事の再確認、治療をしたい時はいつでも治療を再開するという事の説明と確認も行う。

身体の様子をしっかりと見てもらえたことに安心感…。
体重35.4kg

【補足】

先生との話し合いで痛みは薬(麻薬を含む)で抑える事が出来ると強く言われる。

先生からは「世の中には同じような痛みを薬で取りながら仕事をしている人、旅行にだって行っている人は大勢いる」と物凄く前向きな言葉を貰った。

1月7日

太もも前側にしこり発見。夕食前に吐き気あり

1月10日【母の誕生日も…】

O病院 形成外科
MR検査。
病院へはタクシーで行った。
1/30の入院、手術の件の話も出るが、状態によっては行わない方針も確認する。

身体の痛みが辛く、病院まで行くのがやっと…。

【補足】

この日は母の誕生日(73歳)。
そんな記念すべき日も体の痛みに耐えながらの病院通い。
大したお祝いをしてあげられなかった事に悔いが残る。

1月12日【母の最後の日記】

A看護ステーションの看護師さんの診察。
症状は1/6と大きく変わらず。
吐き気の頻度が上がる事を使えると、医師(I先生)と相談の上でトラベルミンの薬を出してもらって対応。

【注記】

1/13以降の母の日記、身体日記の記述なし。
1/12の日記が母上の最後の日記となった。
以降は私の看護日記をメインに、後の母上の言葉と私自身の回顧録を元にここに記す。

1月15日 【嘔気頻発】

夕食前に嘔気。
食べ物の匂いに反応?
トイレに移動もトイレ内でしゃがみ込んで動けなくなる事態発生(短時間で解消)。

1月16日 【明確に症状悪化の傾向】

I先生(Iクリニック)の診察
1/6以来よりも痛みの度合いがかなり上がる。
痛みは両足で、骨盤付近も特に痛く、痛みは一日中取れず。
杖を持っての移動も、もはや両手で杖を支えないと移動困難な状況。
朝、特に起床後にめまいがするようになる。
トラマールの副作用かベッドから起き上がれない状態になる。

【補足】

この日、I先生の訪問と診察に合わせて私の仕事休む。この日の為に1月以降に書き留めた看護日記をI先生にも読んで頂いた。ただここ数日で症状はかなり悪化。薬で痛みは取れると言うが、現状の薬ではほとんど効果が無いような印象だし、新たに薬の変更や追加も無かった。またここ数日の嘔気の強さが気になるところ。


1月19日

お風呂の手すり購入、取り付け

1月20日

お風呂椅子、トイレ手すりを購入、取付。

トイレ使用時は手すりを頼る事でかなり楽になったと母は言ってくれた。

1月編① 1.1~1.20 まとめ

とにかく体の痛みを訴えることが多くなった時期。家の中で杖をついての移動も、身体の痛みに耐えかねてか徐々に呻き声を発するようになる。嘔気は頻発するし、自室でベッドから起き上がるのも一苦労で、明るい材料は殆ど無い状態になってくる。

訪問医療も開始となったが、母の病状の進行の速さに比べて対応そのものが多少遅いような感じを受けた。「薬で痛みを取りましょう」という事だったが、その痛みが殆ど取れないような感じに。先生には症状や現状の様子を伝えたが、診察時にその症状(目眩と痛み)が殆ど出ないのでうまく伝わらないというか、分かってもらえないもどかしさもあった。

それでも1月21日深夜のある出来事をきっかけに、症状は一気に悪化の一途を辿っていく事になる。

【注意事項】

この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。



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