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母の旅立ち、私の見送りへの道 12月編 第4回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。

今回は更に身体の痛みが増し、味覚の変化など様々な症状が出始めた12月の日記から抜粋して紹介します。


12月

12月1日 【がん支援センター訪問】

O病院 がん支援センター
これから必要になる各資料を貰って、訪問医療と緩和ケアの説明も受ける。

12月6日

お買い物。数日歩いていなかった影響かしんどかった…。

12月7日 【味覚に変化あり】

数日前より胸のあたり(胃かも)が気持ち悪く、食欲無し。
ご飯の味がしなくなり悲しい…。
夜は胸と背中が痛み出す。

12月8日

家族が旅行に行こうと誘ってくれた。
ありがたい話だけど、もう遠出する自信が無い。
ごめんね。

【補足】

もう歩く事もしんどそうだが、最後のつもりで旅行はどうかと誘ってみた。車いすを用意してでも…と思ったが、母は自身の身体の痛みもあり、旅先で体調を大きく崩した時の事を心配したのだと思う。

ただこの時に母が「行く」と言っても、実際に旅行に行けたのはおそらく1月を過ぎた頃になったと思うし、結果的に行けない事になっただろう。後になってからではあるが、もっと早く誘って企画していれば…という思いは強い。

12月9日 

右足がかなり痛む。
もう買い物には行けそうにない…。

12月10日 【さらに身体の痛み増す】

体重36.6kg。
症状は変わらずあちこちが痛い。
身体のしこりは数えきれないほど増えるばかりで痛みが増す一方。
痛み止め、痺れの緩和の薬は効いているのか効いていないのか…。

12月12日 

右腕上部に内出血、青あざ確認。

12月13日 【大腸の手術、入院が決定する】

O病院 消化器内科
先に見つかっていた大腸のポリープの内視鏡手術の日程決まる。
1/30入院で1/31手術予定との事。

皮膚科
吐き気があるので薬を替えてもらった。
またトラマール(痛み止め)を増やしてもらった(朝・夕と2回)。
楽に過ごせる時間が増えた。
ありがたいです。

12月18日 【身辺整理】

身辺整理の一環で銀行回り。
自身の口座の解約、振替をすませる。

12月20日 【頭部にしこり】

O病院 皮膚科 
現在の症状、薬の事でお話し。
体のしこりも見てもらうことが出来た。
少しホッとする。次回緩和ケアの紹介状を頂けるとの事。
夜、頭(耳の上部)に大きいしこりを発見。
脳に近づいたと思うと悲しくなった。


12月25日 

青あざ、内出血、しこりは首と足の方にも出来始めた。
体重は36.0kg。

吐き気のような気持ち悪さ、口の中の苦味などで栄養ドリンクを一日一缶も飲めない…。

12月26日【味覚さらに変化】

味覚が替わったのか、肉、魚の味が美味しく食せない。

O病院のガン支援センターの相談員より電話。
Iクリニックと連絡がつく
近く自宅への訪問日の予定を決める。

12月28日

体重35.4kg。
どんどん減っていく…。

12月まとめ

10月の退院以降、なにかにつけて家事をしようとしていた母だが、12月に入るとさすがに無理はさせられないような状況だった。家事全般はもう全て私がするから…と言ったが、日中は仕事をしている私を気遣って母は断り続け、自ら家事をする事も多かった。

母が言うには「まだ動けるから…」という事だが、私が「まだ動けるうちに余力を残しておくようにしよう」とかなり強めに言った事で、ある程度納得はしてくれたようだ。それでも隙あらば一人で片付けをしようとしたりして、何かあればすぐに「あなたは仕事をしているのだから…」と言って私に気遣ってくれた。

本当は私が母上を気遣わなくてはならないのに、最後まで私に気遣ってくれた母に感謝している。

しかし母の症状は悪化の一途を辿る。身体中のしこりは増えるし、痛みは全く引かないまま。12月からは新たに味覚に異変を感じたり、徐々に嘔気も出始めた。この嘔気は結局最後まで続くいて、母や私を大いに悩ませることになる。

この12月の時点でようやく病院通いから訪問医療の方向へと向き始める。今にして思えばこの時点で訪問医療の方へシフトしていなかったらどうなっていたのだろう?と思う事がある。

それでも12月は何とか無事に終わった感じ。1月以降のことを思うと、とりあえず無事に年を越せたのは幸せだった。

【注意事項】

この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。


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