いま積読から脱出しそうなものたち
頭の整理をするのによい。考え方のアプローチについても確認できる。仏教を論じるもののなかには一定の割合で「量子力学」めいたものを引いてその立ち位置を正当化するような記述が見られるが、日本ではそうしなければならないほど仏教のイメージが悪いのだろう。昔からのものであっても、近視眼的な"経済合理性"からはずれたものに価値がないとされるのは、新しいものこそ素晴らしいというある種の偏見があるからではないか。
「ちょっとくらいええやないか」と自分の直感でものごとを判断しようとする、まさに