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卑弥呼さんが倭人の代表と考えなくてもいい。ローカルなオバチャンでもいいのだな。

112邪馬台国と濃尾:108で大(夜神族)+和(昼神族)=邪馬台、その主力は尾張族と書いた。学問は、纏向土器の約半分が濃尾系であるのに大和中心史観(日本的中華思想)ゆえに同族を奴隷と説くが、もっと素直に見るべき。そうすると、大和政権成立前は濃尾が中心であった事が自然に見えてくる。

3か月前

邪馬台か邪馬壱か ごく簡単な話です 中国の歴史書が書かれた時代を整理したら 三国志の時代に卑弥呼がいたのは邪馬壱 その後倭の五王は畿内つまりヤマトから来たと中国につたえた そこで倭人の国はヤマトなんだと知り 邪馬台国と書かれるようになる 邪馬壱と邪馬台は別の国ですね

(148)ヤマトの音は「ヤマト」だったか

壹と臺を間違えるのは相当間抜けです。三国志魏志倭人伝の版本を作った職人は間抜けだと、日本人は断定してきました。 東冶と東治のまちがい。これは、紙がすれて治に見えた、はありえる。東冶の東は沖縄で、ありえないから治だ。 東治という地名はないけど。 でも沖縄はありえない?なぜ?

邪馬台国の考察

神話

後漢書は時代が逆で三国志より後で書かれました 倭伝は魏志倭人伝を参照しています しかし邪馬臺国と国名が変わります 倭の五王による朝見外交でヤマトという名前が認知されたからでしょう 邪馬臺国の下に分注があります 案今名邪摩 惟音之訛也 ヤマイが転訛して邪馬台国になると

太 古

2年前