中沢新一氏の『今日のミトロジー』に吉田類先生が登場 日常は「生」の領域 奥深い自然は「死」の領域 そのどちらでもない「低山」の中間性・両義性・対立する両極端を媒介する=分けつつつなぐ力が重要φ(。。 中間的といえば吉田類さんの詩も 『酒場詩人の流儀』の「猫の駆け込み酒場」とか
自分用のクリスマスプレゼントに、何冊か文献を購入φ(。。 意味分節の仕方のクセをつけるのは、風土であり、日々の歩き回り方であり、食べ方であり、人の集まり方でもあり、という本いろいろ。 意味分節は意味ある世界を分節するけれども、それは世界以前世界外に属する創造作用ではなく・・
引き継ぎ、レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を読みつつ、”その11”の記事作成中φ(。。; https://note.com/way_finding/m/mb0f5b1b69993 区切りがつかないまま別のフェーズの話に入ってしまったので、一度巻き戻して、はじめから編み直しはじめてみている。
龍樹の中論(根本中頌) 涅槃は”戯論寂滅”の境地。 戯論寂滅 -四句分別も否定する -いかなる法も説かない。 -涅槃は存在ではなく、存在の対立項である非存在でもない。 https://note.com/way_finding/n/n4d90d1c65558
ミチオ・カク著『The God Equation』 対称性が「無秩序から秩序を生み出す」2本の「ひも」が衝突しふたつの「項」が現れる 対称性は「穴埋めをするのに役立つ」 対称性は「意外な組み合わせで一見無関係に思えるもの同士を統合する」 論理が”神話論理”と同じφ(。。;
井筒俊彦氏の『意識と本質』p.117 無分節者の不断の自己分節の仕方は「限りなく自由」そして「人間が人間特有の感覚器官の構造と、コトバの文化的制約性とに束縛されながら行う存在分節は、無限に可能な分節様式の中の一つであるに過ぎない。それがいかに狭隘な一方向的なものであるか」φ(..
井筒俊彦氏の『意識と本質』冒頭の一節>「表層意識にも逃げ道はある。他の一切の普通の対象のように、無分節の「存在」を概念化して、一つの対象として取り扱うことだ」>この「逃げ道」に走ることなく無分節に溶けつつそこから再生するの術を知っているのが「深層」意識を鍛え抜いた者であるという。
レヴィストロース氏の『アスディワル武勲詩』>「すべての矛盾…克服しようとして出来なかった矛盾。…この(矛盾)の克服が失敗することを神話は告白しているのであり、このことこそまさに、この神話の機能なのである」>二即一があくまでも一即二へ分かれる局面に引っかかり続けることの凄まじさ。
『世界は「関係」でできている』11ページ「科学とは、世界を概念化する新たな方法を探ること。時には、過激なまでに新しいやり方で。」→ここで概念化というのは名札を作ることではなくて、名札の交換関係を作り出すことと読んでみる。 https://note.com/way_finding/n/n414378583343