水戸学は、和魂洋才の魂と言われているが、実際は漢才でないか。朱子学などの理屈で、尊皇と言っても、魂がついていくのだろうか。大日本史などで、歴史を調べても、それを見る目が、朱子学などに引きずられている。これで魂が動くのだろうか?
朱に交われば赤くなる、闇に触れると黒く!?
いかなる思想も哲学も宗教も「学校の勉強」「試験」になると、それは生きた「智慧」から、簡単に「イデオロギー」に転落する。朱子学が官学化して「現実を直視しない」ようになったのも、似非リベラルの米英信仰も、当然昔の社会主義のマルクスの経典化もそれで。天皇も同じかもね。