疲れました、長い人生を見せられて、終わる時は何も感じないのですね。時間の経過は過酷で待ってくれません、辛いですね。幸せな時間があったでしょうか、思いを寄せる人がいてくれたでしょうか。例えば小学生の時に貴方と道ですれ違ってした挨拶が届いてくれてたら僕もどんなに楽だろうと思うのです。
月に何度かnoteがしんどくなる時がある。 すぐにその想いは消えるのだけど、SNSを離れて静かに過ごしたい日はある。 noteは優しい場所で一人語りができる場所。 見守ってくれる場所。 けれど、何も語らず 何も主張せずに 奥に言の葉を秘めたまま眠る夜もまた愛おしい。