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「あぶ刑事」とは懐かしい。まさか新作を撮っていたとは。しかし二人とも老いた。私ならその「老い」をテーマの中心に据えるが、エンタメ的にそれはないか。ともあれ「横浜」がよい舞台装置になっていたし、今回もそのはず。でも看板の「起用」は誤用。人以外には使わない。あ、御用にかけたのか?

これは以前住んでいたアパートの呼び鈴。壊れていたのだ。なのでこのように表記したのだが、やはり誤解された。宅配屋さんなどは顔見知りでわかってくれたが、飛び込みの訪問販売や勧誘がまったくなくなった。でも、巡回の警察官からは好意的に見られた。自己申告をする正直者と思われたのだろうか?

1か月前

最近、室内に長い毛髪が落ちていて、見つけては首を傾げていた。誰も招いていないし、私はスキンヘッドなのだから。しかしよく見れば白髪も落ちている。そこでそうかと得心した。私の髭なのである。髭も抜け替わるのか、と妙に感心した。でも残念だ。見えない仙人がいるのかもと思っていたからだ。

2か月前

これ、じつは私が幼虫から育てたアゲハである。無事に孵化し、一昨日放蝶した。私はなぜか虫と縁があり、よく育てているのだ。でもいつも迷うのは、外に放すか否か。室内飼育なら長生きさせられるが、それはエゴではと悩むのである。籠の中の数週間と大空での数日間。「命」をいつも考えさせられる。

1か月前

noteから「創作大賞2024」の募集のお知らせが届いた。創作を志しているみなさん、ぜひ応募してほしい。プロアマを問わないらしいし。え? なら私も出そうか? けれど協賛しているメディアの何社かですでに仕事をしているし、担当者も付いている。もし、これで入賞したらどうなるのだろう?

3週間前

三浦半島にはおいしいものが多い。三崎でとれる魚介類はもちろん、大根、スイカ、キャベツなどの農産物も美味い。その他に新しい味も生まれている。なのに私はこんな直売所に脇目もふらず、業務スーパーへと直行する。そして中国産を買うのだった。三浦半島で売ってるわけだし、と苦しい言い訳をして。

創作落語をひとつ書きあげ、演者さんに渡した。それで一息ついているのだが、渡された方はこれからが仕事である。それもたいへんな。なにせ短編小説ひとつ分を覚え、身振り手振りを交えた話術で、お客さんを夢中にさせるべく練り上げなければならないのだから。ああ、噺家でなくてよかった。

3週間前

昨日の続き。創作にはゴールがない。これで完成だと思っても、数日後、いや数時間後には不満が出てくる。数年後のものならばもう、直したいところだらけ。けれど、これはよいことだと思っている。成長している証であろうから。逆に言えば、手直し箇所が見つからないなどという日が来ることが、怖い。

3週間前

創作は楽しい。だが、それで食えている人は一握りであろう。小説でいえば、専業作家の数は百人程度と感じている。プロデビューしても「本業は続けてくださいね」と担当から言われるほど、出版不況が続いているのだ。見切りをつけて廃業する作家さえいる。なのに小説家志望者が減らないという不思議。

1か月前

談志師匠は「落語は人間の業の肯定である」と言った。本当にそうだと思う。人間はどうしようもない生き物であり、「それが人間なんだよ」と寸劇で見せるのが落語なのだ。なので笑いの奥底に切なさや遣る瀬なさがある。つまり笑わせながら考えさせる。その点では私の書いてきたものは共通すると思う。

4週間前

こんなゴミ箱がまだ残っていたとは。私が幼い頃、これが各家の前にあったのだ。ということは50年、いや60年近く前のものかもしれない。といって、今もゴミ箱として使われているのではないだろうが。ともあれ日本の高度経済成長を、「昭和」を眺めていた証人。薄くて軽い使い捨ての現代に何を思う?

新作落語を書いている。けれど甘く見ていた。これは小説とは別物なのだ。まず視座が違う。神視点だ。さらに基本が会話劇である。そして演者の所作を想定しなければならない。舞台の脚本は書いたことがないが、それに近いのではないだろうか。ともあれ、この歳で新しいドアノブに手をかけた気分である。

1か月前

落語台本続き。演劇や映画の台本には「当て書き」というものがある。演じる俳優を想定し脚本を書くのだ。落語の台本もこれに近いと思う。私は演者と膝突き合わせ、個性を見極め執筆する。つまり噺家が言う「落語作家がいない」とは、「(自分の感性に合う)落語作家がいない」という意味なのであろう。

2週間前

一般的にはデンジャラスな路地であろう。争いがあった形跡もあるし、どこからかの視線も感じる。実際に私の各種センサーの針も激しく振れる。けれど困ったことに、一番振れている計器が「ワクワクセンサー」だったりする。「トラブルが向こうからやってくる」は私の口癖だが、そうも言い切れない。

こんな形で、よく落とし物を知らせてくれている場面に出くわす。別に珍しい風景ではない。でもこれ、外国人には理解できないらしい。落とした財布が戻ってくることにも彼らはとても驚いているし。そんな話を聞くたびに、日本人でよかったと感じる。見えぬ相手を慮る気持ちはこの国の美徳であろう。

1か月前

この言葉にて愚痴と不平を呑み込む。「時代が悪いの、世の中がおかしいのと言ったところで仕方ない。現実は事実だ。現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因がある。現状を認識して把握したら処理すりゃいい。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿という」立川談志

3週間前

リアルとリアリティは違う。リアルはノンフィクション。リアリティはドラマ性を加味した現実味のあるフィクション。とはいえ現実離れしすぎていては興覚めする。すべてが嘘臭くなる。ということで久しぶりに嘘臭くてひどいドラマを見せられた。受刑者が長髪なのだ。制作サイドの言い分を聞きたい。

人間は進化したが、老化の遺伝子は排除しなかった。老いて死ぬことが人類にとり最善だと判断したからだろう。「誰が?」は別にして。ともかく生物は種の保存の役目を終えたらもう用済みで、あとは次世代に任せこの世を去る。そう思うと私は無様だが、幾粒かの種を蒔けた気がする。まあ思い込みだが。

3週間前

落語台本続き。私の肌感覚で言うと、落語台本の需要は確実にある。そのためであろう公募も多数ある。才能が渇望されているのだ。けれど「新進の落語作家」の噂は聞かない。現れても定着しないのだろう。問題はいくつか思い当たる。最たる要因は落語は台本だけで成り立つものではないということだろう。

2週間前

自分で言うのもおかしいが、怪しさしかない男である。これはステージ上だからまだいい。「ああアーティストなのね」と理解される。これがもし暗い路地裏で、向こうからこいつが歩いてきたらどうだろう? 私ならば慌てるし身構えもする。実際に、ガラスに映っていた自分にビビったことが何度もある。

1か月前