ミルで豆を挽き、沸かしたてのお湯でコーヒーを淹れる朝。誰にも急かされず、自分のための300mlに集中する。湯に蒸らされ、豆のガスがぽこぽこ抜ける。豆も生きている。泡を眺めながら、分かったことが一つ。来年も再来年も、この時間を守りたい。誰にも奪われない、わたしのための心安らぐ瞬間。
先のことを考えるのは大事ですが、先の先の先のことまで考えるのは良くないと今更ながら思いました。そもそも、そんな先のことまでわからないし、その時どうなっているかもわかりません。最近は変な安定志向を求めるので、もっと挑戦的な気持ちも持たないと、かえってダメな方へ流されそうです。
「乳母車」と言ったら咎められた。いやわかるよ、ジェンダーレスでボーダーレスで多様性の時代にはそぐわない昭和ワードなんでしょ。でもね、うばぐるまって響き、好きなのよ。赤ちゃんを愛おしむおとなたちの気持ちやまなざしまで伝わってくるようで。美しい日本語を捨てたくないって、私は思うんだ。