永禄7年(1564)5月9日は安宅冬康が飯盛山城で兄・三好長慶に謀殺された日。冬康は歌を好み穏やかな仁慈の人で無用な殺戮を繰り返す兄を諫める逸話も残る。畿内を制した長慶も二人の弟と嫡男を続けて失い心身ともに病んでいく。讒言があったともいわれるが長慶は唯一信頼できる弟を殺害した。
永禄4年(1561)4月23日(3月18日とも)は三好長慶の弟・十河一存が死去した日。鬼十河と敵に恐れられたが病に斃れた。不仲だった長慶の家臣・松永久秀による毒殺説も。一存に始まり一存の兄・実休、嫡男・義興を続けて失い病だった長慶は唯一残った弟・安宅冬康を誅殺した2ヶ月後に病死。
永禄4年(1561)3月30日は三好長慶の子義興が相伴衆に加えられた機会に三好邸に将軍足利義輝の御成をうけた日。一昼夜に渡り千人余が参加した饗宴。こうして将来を嘱望された義興は2年後に22歳の若さで病死。弟達に続き嫡男を失った長慶が心身に異常をきたしはじめるのもわかりますよね。