神様、この国の和を、よろしくお願い申し上げます。
取材001稲作発祥菜畠遺跡(末盧館)。技術力の高い組織的な稲作遺跡なので弥生集落と思い込んで見学に行ったが、なんとそこは縄文集落だった。元々縄文時代に熱帯aponicaを陸韜栽培していたことは今日判明している。本格的に栽培された温帯JaponicaのDNA元は長江周辺。倭族地。
073鰐=和邇=倭(東夷)族。和邇良神社(春日井市)を「カニラ」と読む。北方はkwha「カ」、南方はk子音が落ちてwha「ワ」。従って、和=倭=和邇=丸(子)。各務原市に丸子地名(古墳群)があって、そこに「伊」木山がある。東隣が「可児」市(初期前方後方墳分布)。古縁を感じる。
【私の日本観】日本が倭と呼ばれていたのは納得です。東アジアシステムの中のちっぽけな小国だったからです。これがスケールの小さい国日本の様相です。後はただ東アジアと近代西欧と現代米国文化で外装をコーディングしていっただけです。それを多様性とか、多神教といっているだけです。