“向き合う”=“受け入れる”=“認める”=“赦す”
「もうがんばってなんて言わないから 好きな歌を空を見上げて歌えばいいよ」 > 誰の期待にも応える必要なんてないˊᵕˋ ありのまま現わせばいいˊᵕˋ
「ほとんど毎日あたしが作ってたから自然と上達もするよ」 > 複利の力はホントにスゲーんだよˊᵕˋ☆ 毎日やっていることのプロだよね、みんな。なんにせよ。
「うちは今まで通りマイペースに実力勝負だ CDさえ売れりゃいーんだよ」 > 外で何が起ころうと関係ない。自分のやるべきことを淡々とやるだけ。自分の意思に基づいてねˊᵕˋ そこ!大事。本当の本当に大事にしたいことは何かを見失わないでˊᵕˋ
「人の庭荒らす暇あったら てめえの花を咲かせろや」 >自分のことを自分でちゃんとやっていれば誰かを妬んだり、貶めたりするヒマはないはずよˊᵕˋ 妬み僻み誹謗中傷する人というのは、自分で自分を受け入れられないのかもねˊᵕˋ 真っ直ぐに自分を見れないというかねˊᵕˋ
「目に見えるものだけに惑わされるな おまえの中にいるレンを信じろ」 > 生まれるときに自分としてきた約束はなあに?みんな思い出してˊᵕˋ それを生きてˊᵕˋ
“至福”と“私腹”を勘違いしてはならないˊᵕˋ おいしいもの食べて「至福♡」、欲しい物を手に入れて「至福♡」って言う“しふく”は全部“私腹”だˊᵕˋ 至福とは永遠で無限で絶対のものなんだˊᵕˋ 私たちはみんな至福から生まれてきているˊᵕˋ
「甘やかすな!練習させろ!」 >なんでもかんでもやってあげちゃうのは相手の気づき(学び)や成長にはならないˊᵕˋ 忍耐とは苦しいものですˊᵕˋ でも、相手にとっても自分にとっても成長をもたらすのが忍耐だˊᵕˋ
「争いを避ける事がお気楽だとは僕は思わない」 ―「そうだな 自分の欲望との闘いだもんな」 >本当の本当に望むものを選ぶとき、私たちは恐れを感じたり、億劫さを感じたりするもの。外の世界には誘惑が多いからˊᵕˋ 誘惑を選択してしまうと人は“罪悪感”を感じるˊᵕˋ 自分自身に対してね
「きっと誰もあたしを満たせない」 > YES!ˊᵕˋ 自分(“わたし”)を満たせるのは“わたし”しかいないˊᵕˋ
「気にすんな! シンの言ってる事は自分を正当化する為の屁理屈だから 変な意地張って自分を追い詰めるなよ」 >誰かの意見はその人の価値観であって、真実ではないˊᵕˋ
「毎日ひたすら練習を重ね 自分でもどんどん腕が上がって行くのを感じた 腕が上がるとドラムはますます楽しくなった」 「ライブも数をこなし 固定客をつかみ」 > 量は質に変わるˊᵕˋ
「メンバーはただ音楽が好きでその想いをCDに詰め込んでるだけなんだから」 > 純粋な思いからやっているのならそれでいいˊᵕˋ ただそれだけでいいˊᵕˋ それをあーでもなこーでもないいうのは外野の勝手な判断。ノイズでしかない。純粋な思いとはなんの関係もないˊᵕˋ