すごく具合が悪いわけではなく、ちょっと具合が悪い。もしかすると「すごく」の時のほうが逆に気合いが入って、やるべきことができてしまうのかもしれない。「ちょっと」の時が問題だ。休むほどではないが、頑張れるほどの元気はない。あやふやにどっちつかずで、やろうか、やるまいか、迷うばかりだ。
特筆すべきだと思われないちょっとした出来事も、振り返ると立派に思い出だったり、時には分岐点だったりすることもあるのではないか。どうってことのないあたりまえでありきたりな時間こそが、大事だったと思う日が来るのかもしれないし、そんなこともないのかもしれない。わからないから残してみる。
何かを作ったところでいいものができる保障はない。うまくいかない確率のほうが高い。それでも作り始めてみなければ、その何かは姿を見せてくれないのだし、作り上げてしまわなければ、その何かが何なのかを知ることもできないのだ。そしてできたそれは何であっても、作った者には愛おしいものなのだ。