なすがありまして んー のりと はくさいを なべにいれて しおこしょうすれば できあがり すごく かんたん!
もし死んだとしてこのnoteの存在は知られることはないから、ここに書く言葉たちは知られることのない遺書となるのだろうか。 正式なルートで残さないとないものとして扱われる私の意志。思い出。悲しみ。
いつか遺書としての文章をここに残したい。 死んだ本当の理由を誰にも知られないのは辛い。 だけどそのままのことを書いても誰が読んでくれるのだろうか? そのままの理由を書くのは恥ずかしい。せめて面白おかしく。 その外側に向けた遺書には、私の想いは乗っているのだろうか?
「フィクションです」と付けておけばなんでも許される気がしている。 幸せに生きることが許された民と、そうじゃない民。 親は私の生存のために金を使うことを拒み、兄弟の贅沢には金を使った。
幸せになりそうになると不幸になる。 いつもいつも、その繰り返し。 一体いつまで続ければいいのだろう? 産まれる時は選ばないのだから、死ぬ時は選ばせてほしい。
たまに心臓が痛い。 このまま死ねるのかなという希望と、痛いのは嫌だなぁ、この部屋で死ぬのかという悲しみ。 眠りながら死ぬ方法はないものか。
外側からみて元気そうな人間が、いつも元気なわけじゃない。 もし私が死んだら、周りはなんというのだろう? 相談してほしかった?悩んだいることに気付かなかった? 面白おかしく消費され、すぐに忘れ去られる。 居たことさえも誰の記憶にも残らない。