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アナログ派の愉しみ/音楽◎宮沢賢治 作詞・作曲『月夜のでんしんばしら』
【シベリア散歩(3)】ウラジオストクの韓国人町における日本人売春婦、からゆきさん
四日市における戦争と死者に関わる碑・施設の諸相 慰霊・追悼・記念(1878~2011) ④
【百年ニュース】1921(大正10)7月26日(火) シベリア派遣中の第11師団(善通寺)参謀長,三輪秀一大佐らが駐屯地ニコリスクから北部の都市スパスカヤに移動中,マンゾフカ北方の橋梁でパルチザンに襲われ戦死。当時の原敬内閣はシベリア撤兵の具体的条件を現地のソ連傀儡国家,極東共和国と交渉中だった。
■敗戦記念日を振り返る - 小野寺信(まこと)の報告が内閣に伝わったら沖縄/広島/長崎の悲劇はなかった!?
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【百年ニュース】1920(大正9)4月5日(月)前日ウラジオストクで発生した日露両軍の衝突がロシア沿海州全域に拡大。ハバロフスクで市街戦発生。浦塩派遣軍司令官大井成元中将が4月1日の米軍撤退を機に攻勢に出たもの。シベリアから撤兵方針だった原首相、田中陸相は寝耳に水で、現地軍の独走だった。
シベリア出兵とは何だったのか――匝瑳胤次『深まりゆく日米の危機』より
【百年ニュース】1921(大正10)2月26日(土) シベリア出兵中の第11師団の師団長斎藤季治郎中将がウラジオストクで現職のまま客死。病死であった。享年53。後任候補には宇垣一成陸軍大学校長(陸士1期),白川義則陸軍士官学校長(1期), 武藤信義参謀本部総務部長(3期)が取り沙汰されるが,白川に決定された。