人気の記事一覧
触れることの尺度──AAPA『からだの対話の場をひらく』 ステートメント
一貫性についての議論 : 作家の仕事, 演出家の仕事
ナボコフ(独創的であって, そのまさしく本質により, いささかショッキングな驚きを与える"偉大な芸術作品")からの卒業.
セリフが「流れる」「流れてしまう」ことに直面していた. ある日のクリエーションの現場についてのドキュメンタリー的文章. #またまたたまたま #稽古場note
『「またまた」やって生まれる「たまたま」』を来年1月、池袋・東京芸術劇場アトリエウエストで発表します!
文章が「売れる」とか「読まれる」とか,そういうことはどうでもいい. #振り返りnote 10月21日〜27日
「インキュベーション キョウト 人材育成プログラム 豊岡演劇祭」,二泊三日の日程が無事に終了しました
この旅は手法の探究とその言語化のためのプロセスでもある
例えば.イポリット・テーヌは,愛することは他者の幸福を自分の目標にすることである,と著述しているけれど,これを真に受けると,どちらか一方が不幸を肩がわりして,もう一方の幸福を創出することになってしまう.けれども「他者の幸福」と「自分の目標」を分けて考えないようにしたらどうだろう.
「社会」は手段であって目的ではない.「芸術」は目的であり、手段ではない.しかし,「社会」を目的であると捉え(違え)るために,「芸術」について語ることを忌避するのだろう.
初歩中の初歩の技術が、もっとも難しいのかもしれない
傾向として、映画のほうが主人公にフォーカスされやすく、ドラマのほうが群像的に描かれることのほうが多いように見える。そういう意味で、映画のほうが「小説」的であり、ドラマのほうが「戯曲」的であるのかもしれない。
語り部の感情や考えが,ほかのキャラクターに伝播し,またそれが観客に伝播されるような演技,演出の方法を創出したい! ver. 2 #演劇note