せーしろー

1973年4月熊本県人吉市生まれ。心理カウンセラー(公認心理師・元臨床心理士)をやりな…

せーしろー

1973年4月熊本県人吉市生まれ。心理カウンセラー(公認心理師・元臨床心理士)をやりながら、大学院の博士課程にも在籍しています(東京大学)。RM:https://researchmap.jp/neko-to-hirune

最近の記事

発表論文集=10450円

発表論文集・・・、そんなお値段だったのか・・・。 今や、ネット上でPDFで無料で読めてしまう時代なのだが、何かニーズがあるのだろうか。 私は88回大会には参加するのだが、考えてみると論文集は渡される可能性があるような・・・。 そうなると「重い荷物」になってしまうなぁ・・・。 でも熊本記念ということで持っていたいのもあるし・・・。 まあ、もらったら考えよう。

    • どんな質問にもお答えします、について

      ある分野で「一角の人物」になったことで自信がついたからなのか、いろいろ話してきたことで、テキトーに話しても大丈夫という感覚をつかんだからなのかタイトルのようなことを言う人がいる。 たしかに、テキトーなことを言うのであれば、どんな質問にも回答することが可能ではある(笑)。しかし、その正確性については、その分野を専門にしている人しか判別はできないことになる。 まあ、エンターテイメントとして楽しむには、別に良いとは思うが、「すごい人」の回答が、全て正解ではないということは頭の片

      • ゆるふわ系心理コンテンツの氾濫

        ネットを見ていると、心理の専門家を名乗る人たちの発信は「ゆっくりしましょう」系のコンテンツが多い印象だ。 そこから深呼吸とかマインドフルネスなど、リラクゼーション系の話になっていくみたいな。 まあ、この方向性は間違いではないとは思うが、「ゆるふわ」が通じなかったり、キレイゴトに聞こえたり、そんなのできたら苦労しねーよだったりする人も一定数いると思われる。 個人的には女性であれば、ゆるふわ系が「入る」可能性が高いが、男性であれば、ゆるふわ系は「入らない」可能性が高いと睨ん

        • 人間関係は替わっていく

          人間関係はこちらの状態によって替わっていく。 昔の友人たちとも接触がなくなっていったりする。 久しぶりに会って、意気投合したとしても、普段から付き合っているわけではなかったりもする。 もちろん、それぞれに家族が出来て、そうなってしまう場合がほとんどだろう。 しかし、その家族ともまた、当人の状態が変化すると疎遠になったりする。 これを考えると、一定の付き合いが続いているのは、当人に変化がないからだろう。 それを良しとするかどうかは当人の価値観しだいだとは思うが。

        発表論文集=10450円

          講演・研修会の無意味さ

          これまで何度か講演や研修会をやってきた。 かなりの下準備をしてのぞむのだが、果たしてその効果はいかがなものかと思っている。 もちろん、私の腕の問題もあると思うのだが、大抵は、終わった瞬間に全て忘れているのではないか(笑)。 私自身も講演・研修会を受講してきて、何となく「良い感じ」は持つものの、では、そのあと何かの「役に立った」かというと、ほぼないと言っても過言ではない(笑)。 あれは本を読む労力を省略しようとして高額の金を失うという「コスパ」が良い事象とは言えないよう

          講演・研修会の無意味さ

          メンタル系YouTuberの会・オフラインイベント2024

          というのが開催されるようだ。 YouTubeでみかけるメンバーが勢揃いということで、オールスターゲームさながらである。 こういう告知には「行きたいけど◯◯で行けません」系のコメントがズラズラ並んで、はたからみると、不人気イベントな感じになるのだが、そこまではなっていないようだ。 私は「行けない場合は、リポストなりしろ」ルール(?!)に従い、ここに書いてみたしだい。

          メンタル系YouTuberの会・オフラインイベント2024

          他者からみた愚痴

          愚痴は他者からみると実に「どうても良いこと」だったり「単に◯◯すれば良いだけ」なのだが、本人的には「辛いこと」「どうにもできないこと」だったりする。 となると、客観的に考えると愚痴は共感されにくいのが解っているため、あまり他者の前で言わないようにするのが自然な流れのように思う。 しかし、ここまで愚痴を言うのが一般的になっているとなると、そうでもないようだ。 とりあえず言ったことで「カタルシス」が起きるのが、その要因なのだろうか。 愚痴の進化論的意味は何なのだろう。

          他者からみた愚痴

          ネット疲れで消えていく人たち

          が一定数いるようだ。 私は疲れるというよりも、自身の自己顕示欲を感じてストップすることが多い。 ネットで疲れる人は、返信しなきゃに囚われているような気がする。 何だか一生懸命返信文を考えているような感じである。 それか、もしかするとネットというのはキラキラ生活ばっかりアップされるので、嫉妬とかもあるのかもしれない。 逆にネガティブなやり取りが苦手だったりもするのかもしれない。 ちなみに、よく言われるのは、本当に辞めるヤツは辞める宣言はせず更新がストップするだけらし

          ネット疲れで消えていく人たち

          「生きすぎる長生きは不幸である」

          そもそも、高齢者の「病因」の主たるものは「加齢」という身も蓋もない話らしい。 テクノリバタリアンの一部は死にたくないがために結構あがいているみたいだ(笑)。 人間の身体的には構造的に120年が限界で、健康寿命もせいぜいそこが限度らしい。パソコンのパーツみたいに、他がよくても一部がそうそうとダメになるパターンもありそうだ。 手塚治虫の火の鳥か何かで永遠に生きる場合の思考実験が描かれていたが、展開は忘れてしまった(^_^;)。 確かに永遠に生きるとなると、いろんなことに「

          「生きすぎる長生きは不幸である」

          どこなら譲れて、どこなら譲れないのか

          なんせ2人ヒトが集まれば、たちまち何らかのすり合わせが必要になる。 夫婦にせよ、仲良しチームにせよ、それは変わらない。 ただ、人によっては 「譲れるところ、譲れなくも無いところ、譲れないところ」 が違ってくるので、自分がどこなら譲れて、譲れないのか、観察しておくことが大事だと思う 西川公平@CBTセンター これは実に難しいところだ。 相手にとっては、その人の譲れないところは理解できない可能性が高いからである。 おそらくであるが、譲っても「慣れ」でどうにでもなる可能性があ

          どこなら譲れて、どこなら譲れないのか

          女性の話はつまらない?! 愚痴とゴシップ

          なるほど、これは確かにあるかも(笑)。 進化適応環境、つまり狩猟採集時代に女性は男性が狩りに行っている間、女性たちの集団で留守を守るみたいな感じだったようで、そのさい女性同士のゴシップで、「悪い」人たちを探知したり、ゴシップにならないように行為を正したりしていた名残ではないか説がある。 なので、男性陣が聞くと「しょーもない」話なのかもしれないが、女性陣にとっては、自身の生存率と繁殖率を上げる手段なのである。男女の戦略の違いなので仕方がない。 男性は解決を求め、女性は共感

          女性の話はつまらない?! 愚痴とゴシップ

          怒らない人 ≠ 優しい人

          私もときどき怒らなそうと言われるが、まあ、このポスト通りである。 基本的に他人に関心がないので、怒りも沸かないというのが実情である。 なので、ときどき「?」と感じたりした場合は、怒らないで、そのまま関係を終わりにすることが多い。 そう考えると、私は冷たいのだとは思う(笑)。 それにしても人は何であんなに怒っているのか。 本人の考え方もあろうが、どうもその本人の周囲にいる人たちのレベルもまた「ピー」の可能性が高いのではないか。ある意味で、修羅たちの世界に常駐していると

          怒らない人 ≠ 優しい人

          大学が「国民の休日」を休みにできない「15週ルール」とは

          私も三年間、大学で非常勤講師をやったことがあるが、このおかげで祝日でも講義をやった記憶がある。 慣れてくれば、うまい「抜け道」を思いついたのだとは思うが、その前に、大学院に進学するため、日程が読めないこともあり、非常勤講師は辞めてしまったので、そこまで行くには至らなかった。 まあ、そう決めた偉い人たちも、まさかこういう事態になるとは予想していなかったのではないか。でも、引っ込めるわけにも行かずみたいな(笑)。 教育現場というのは、得てしてこういう事態が起こりがちで、それ

          大学が「国民の休日」を休みにできない「15週ルール」とは

          SNSデトックス

          最近、XのTLが少し静かになっている。 何名か「通知」にしているのだが、その内の頻繁に更新していた人たちの更新が滞っているのだ。 何かあったのだろうか。それとも意図的なのだろうか。はたまた別垢に「転生」してしまったのだろうか。 SNSは時間が溶ける典型なので、デトックスしたとしたら、個人的には良いのではないかと思っている。 ただよく見ている側としては、ちょっと寂しいところだ。

          SNSデトックス

          24年Windows、1年Mac

          う〜ん・・・。 やっぱり、日本語を書くという意味では、ウインドウズの方が機能的なような気がする。 同じWordだろう?という話ではあるのだが、キーボードの関係でそうなるのかなと。 1.日本語入力からの英語変換が、先頭を大文字にする変換ができない。 2.デリートが単発ではできない。 3.形式を選択して貼り付けのバリエーションが少ない。 4.辞書アプリがほぼない。 5.Tabキーが小さい。 などが不便かなと。まあ、これが英語入力専門であれば、差はなくなるのかもしれ

          24年Windows、1年Mac

          指で書く

          投稿用論文の草稿ができた。 しかし、また「指で書く」みたいな状態にはなっていない(笑)。 まだまだかなり頭を捻って文章を考えている状態である。 あの特に頭を使わず「指で書く」段階に入る日は来るのだろうか。 あの単なる作業というか手の運動みたいな感じで書く感じだ。 しかし、そうなると書く楽しみはなくなるのかもしれないが(笑)。