見出し画像

大和路うろうろ・はじめに

幼稚園のときに奈良市の学園前に引っ越してきて、以来5年ほど前40歳すぎまでずっと奈良市民。なかでも10年ほど前からの5年間は奈良公園の端っこに職場があった。
今はお隣の生駒市に引っ越し、パート先も生駒。
県境の街だから、大阪難波もそう遠くないけれど、休日の気晴らしには大抵近鉄電車に乗って奈良に出る。

大学時代から合唱にはまり、5年前まで相当熱心に打ち込んできた。
ブラームス『ドイツ・レクイエム』やバッハ『ミサ曲ロ短調』などオーケストラと一緒に歌う大規模な宗教曲が好み。
その後退職、引っ越し、独立開業、家族の病気、コロナ禍、パート勤務と荒波が次々訪れ、もはや合唱を「続けている」とは言いがたい生活のなか、仕事一筋…で一年やってきたつもりだけど、わたしの場合熱中しすぎると、ろくなことがない。ひとりで理想に突っ走って焦れてしまう。
そんな時のクールダウンには勝手知ったる奈良公園がぴったりだ。
ひどい方向音痴、地図も苦手。ペーパードライバーで自転車に乗れず、方向音痴のうえ足も遅いわたしがぼやっと歩いていても、国宝や重要文化財の美しい何かに行き当たる。
その何かが、仏教美術であることが多いのは土地柄だ。
奈良は宗教都市だというのが、わたしの実感である。
わたし自身は合唱曲…イコール西洋の宗教曲を歌ってきたので、歌詞として何度も何度もキリストへの信仰告白を口にしてしまっている。けれど、実際には決して信仰心があるわけではない。それでもやっぱり曲のみならずその主題にも胸が熱くなるし、演奏していると稀には神秘かもしれないと思える不思議な感覚を体感することもある。
それでもわたしのそれは信心とは別物という自覚はある。
昔の人が感じたり考えたことを想像したり追体験するのが好きなのかもしれない。
だからお寺や神社に行ったら手を合わせて、案内板があればその通りの作法で真言を唱えてみたり、たまにお札を買ったり。この前は初めて絵馬を書いてみた。
ふと、こういう休日を日記として記録していけば、あとで面白いのではないかと思いついて、今日から始めてみるつもりでいる。
そのときそのときの自分の気分ありきの散歩であり、仏像であり、道であるからして、わたし自身の状況、そのとき考えていることも一緒に書いていくようにしたい。
お付き合いくださる方がいらっしゃるとも思えないけれど、もしいらしたら望外の幸いと思っております。どうぞよろしくお願いします。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?