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大和路うろうろ・西大寺

十時半に西大寺に着いた。小春日和。人通りはまばらで、若いおかあさんがよちよち歩きの子供を遊ばせているのがほほえましい。

以前一年間だけ菖蒲池に住んでいた時期があり、仕事帰りや休日に時々散歩に来ることがあった。
そのときは境内を散策するだけのことが多かったけれど、疲れているときは本堂に入って幻想に浸り、向かいのケーキ店で芸術的なケーキを買い物して帰るスペシャルバージョンもあった。

前夜にインターネットで調べると、西大寺ではいま特別開帳があるとのこと。初めて1000円の共通券を奮発して、四つの建物に入ってみることにした。

本堂は黄金色の繊細な細工が美しい行燈が棚いっぱいにあって、全てに火が灯っている。何度見ても、足を踏み入れた瞬間さっと鳥肌がたつ。
落ち着いて御堂の中を見回すと、柱や壁の装飾が行燈の火に照らされて揺らめいて、西洋風の教会を思わせる。エキゾチックということかもしれない。西域、シルクロード。大陸風の乾いた大らかさが大和の古寺の特徴だけれど、そのなかでももっと乾いて軽くお洒落な雰囲気がある。建立されたのは称徳天皇という女帝だったそうだから、女性好みということかも。
特別開帳があったのは愛染堂。御本尊は秘仏らしくて、いくつかの模像もあったけど、どれも大して似ていないのが不思議。技術的に難しいのか、秘仏への遠慮があるのか。
たしかに、独特の弾けるような体つきをされている。赤い体躯は、「煩悩がそのまま悟りである」の意、らしい。たしかに、年齢重なってきてよけい思うけど、人の気持ちの中でも、愛情のもつれが一番難しい。わたし自身、どうしてこうなるの?の連続に、もう音を上げたい。手を合わせたけれど、何か居た堪れず、お祈りもそこそこに、お守りの品定めもできずに切り上げた。
お堂の前には愛染かずらではなく樹齢700年とのプレートが掲げられた菩提樹。
700年はすごい。
幹にちょっと触らせてもらった。これくらいが自分にはホッとする。さっきの居た堪れなさはなんだったんだ。さすが秘仏、というところか。
お堂の外から改めてお賽銭をし、手を合わせてご挨拶。

四王堂は入った途端、鳥肌!
なぜ今まで入らなかったのか、本堂より本堂らしい。と思った通り、こちらが西大寺建立のころからのお堂なのだそう。
御本尊はずっと見ていられる優美で迫力のあるお姿。何でも叶えてくれそう。思わず本気で手を合わす。
四王像は、ひな壇(仏壇?)の前面の板を外してあって、その中に隠れている邪鬼を覗けるようにしてある。
そういえば以前6時のニュースで見たかも!
リーフレットを見ると、この邪鬼こそ天平時代からの生き残りらしい!
これが本当にいつまで見ていても飽きないくらいの名作。
生々しく力強く躍動的で、デフォルメが効いてて、生身の生物より野生的。
邪鬼…というだけある。
天平のころのきっと何でも人力だった生活や、砂埃、力仕事をしてた人の労働量、立派な肉体、そんな人たちの中のひとりにモデルを頼みポーズを取ってもらった仏師、二人のやりとり…想像を巡らせてしまった。
と、その間にも裏庭にある西大寺幼稚園からは終始賑やかな音楽と子どもたちのお遊戯の声が響き続け、浮世の生臭くひちめんどくさい現実から離れることはひと時たりとも許さない、そんな厳しさのある西大寺であることよ、と思った。

駅に戻ろうとして、道が新しくなっていることに気付いた。公園を抜ければ目の前が南口のバスターミナル。
時間も早いので、100円のぐるっとバスに乗って、近鉄奈良駅に向かった。
観光はもう充分だけれど、インターネットで駅からすぐ中筋神社というのがあると知り、そこだけ立ち寄ることにする。
コノハナサクヤヒメが祀られているそうな。桜のイメージの春日の土地と縁がありそうなわりに、お祭りされている神社は他に覚えがない。
小さい神社ながら、中筋町という町名も残っているくらいだから由緒正しいのでしょう。
この辺でニュートラルに戻って、フリーWi-Fiのきいたマクドナルドに寄って写真などアップし、商店街で買い物してから帰途に着いた。



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