半生を振り返る① 生い立ち~幼稚園時代

今回の記事は、以下の内容です。

・生い立ち
・幼稚園時代

ADHDとASD併発の「はるぺど」です。

今回のテーマは「半生を振り返る① ~中学卒業」です。
自分がどんな人で、どんな人生を歩んできたかをお話するつもりです。

ただ、出生から現在までを一気にお話すると、話がとんでもなく長くなるので、時期で分けて数回にわたって記事にしていきます。

では、本題に入りたいと思います。


・生い立ち

「はるぺど」はとある家族の次男坊として生まれました。予定日より1ヶ月早い3月に低体重児として生まれたため、早生まれとなりました。
ただ、ここの時点で運命がほぼ決まったのかもしれません。「低体重児」、そして「父親の年齢」。私が生まれた当時の父親の年齢は30代後半にさしかかる頃でした。

ここまで書いてピンときた人もいるかもしれません。
この2つの要素は発達障害の子供が生まれる要因となる可能性があるのです。
(長ったらしい文章ですみません。「断言」はできないのでこのような書き方になりました。)
発達障害は遺伝の要素が強いと言われていますが、遺伝がすべてではありません。このように「突然変異的に」発生することもあり得るのです。
(※親が未診断の発達障害だった可能性は捨てられませんが。もしそうだったら両親を一生恨みながら生きることになるでしょう。)

物心つくまでの記憶など覚えているわけない(何なら幼稚園時代も怪しい)ので、両親から聞いた私の話をまとめるとこんな感じです。

・3歳頃になるまで話すことがほとんどなかった。

・ただ、ある日、はるぺど君の電車が視界に入った途端「電車!電車!」と鉄道車両を連呼していたらしい。これを聞いた母親が「電車ってもう一回言って」と言ったものの、その後は一言も言わなかったらしい。

・こんなこともあってか、父方の祖母は母に「発育がおかしいのでは?病院で一回見てもらったほうがいい」と言ったそうな。一方で母方の祖母は「大丈夫じゃね?」と言っていたそう。結局そのときは病院には行かなかったが。今思えば父方の祖母の言う事を聞くべきだったかもしれない。嫁と姑の関係はウンタラカンタラで母親のプライドが許さなかったのかもしれない。もし怒られなかったら聞いてみたいところである。

先ほど鉄道のエピソードが出てきましたが、何を隠そう、20年以上鉄道マニアをやっているのです。
ちなみにどうでもいいのですが、発達障害関連の著書を開くと、「当事者の鉄道エピソード(駅名や路線名、形式名などの知識が豊富)」が出てくる割合の高さは、狙っているのではないかと思えるほど高い気がして仕方ありません。

・幼稚園時代

その後、近所の幼稚園に通うようになりましたが、休み時間はずっと一人でいた記憶があります。と言うより、誰かと一緒に遊んだ/おしゃべりした記憶がまるで無いのです。
男の子、女の子たちがそれぞれごっこ遊びや外の遊具で楽しく遊ぶなか、粘土とお絵描きしか遊んでないような...少年時代から陰キャだったと思います。

何かの授業中に勝手に廊下に飛び出し、隣のクラスの授業を覗いたこともあります。これははっきりと覚えているのですが、なぜこんなことをしたのかは今も不明のままです。
あと、遠足などの課外授業は常に先頭で、先生の手を握っていました。

あと、幼稚園のイベントで豆まきがあった際、クラスメイトが鬼(に扮した先生)に向かって元気よく豆を投げる中、はるぺど少年は落ちた豆をひたすらにボリボリと食べていたそうな。

本当はこのパートで中学卒業までを書きたかったのですが、幼少期とはいえ長かった。
次は小学校時代以降のお話に続きます。


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