半生を振り返る⑤ 大学生時代(大学1~2年の頃)

今回の記事は、以下の内容です。

・大学生時代(大学1~2年の頃)

ADHDとASD併発の「はるぺど」です。

今回のテーマは「半生を振り返る⑤ 大学生時代(大学1~2年の頃)」です。
前回の記事では高校生時代を書いていますので、まだの方はこちらもどうぞ。

早速、本題に入りたいと思います。

・大学生時代(大学1~2年の頃)

大学に合格したことで、高校生時代まで制限されていたゲームやパソコン、スマホが一気に自由に使えるように。大学生になったこと以上に、これが何より嬉しかった。これで自分もみんなの仲間入りができた、時代に追いついたと思った瞬間でした。

とはいえLINEの使い方もTwitter(現:X)の使い方も知らなかった僕は、大学の同じ学部学科の人間で構成されたグループラインにて、「GWに遊び相手を募集するということをやってしまいました」。別に他意も下心も全くなく、「仲良くなれたらいいな」の気持ちで募集したのですが、「クラスなどのグループラインは基本的に雑談などしない」という文化を知らなかったのです。「スマホを持ってなかったし、LINEもやっていなかった」という言い分も通ることなく、おかげで入学まもなくして村八分。

とはいえ自宅と大学の往復で日常が終わるのも楽しくないので、複数のサークルの新歓に顔を出すことに。しかし悲しいかな、自分の言動に対しては皆の表情が何となく曇るのでした。18歳なのでなにか自分がやらかしたんだな〜とは感じ取れましたが、それは何故なのかは教えてくれませんでしたし、今でも原因は何だったのか分かりません。

結局またしても1人。このままでは同じではないか。
そんなときTwitterで、自分の大学に鉄道研究部があったことを知るのです。
仮入部をすっとばし、早速部員として動くことに。大学に居場所ができた瞬間でした。

講義と部活動の日々が始まりましたが、少し背伸びして何とか合格した大学の講義が簡単な訳がありませんでした。
出身高校を聞くと、県一番の進学校、6年間中高一貫校など、育ちも頭の中もまるで違う人ばっかりです。
彼らが片手間の努力でA+やAの評価をかっさらっていく中、私はBを取るのでも精一杯な状況でした。大学の講義で単位が認められる条件として、期末試験が課されることが多いのですが、この期末試験だけで100%評価すると、極論をいえば、「授業全サボりでも期末試験で60%の点を取れればOK」ということになります。一方で、真面目に最前列で全授業を受けても、60%に届かなければ認められない。結果がすべてなのです。

また、先輩や同級生のつながりも薄い状態でしたので、楽単(比較的簡単に単位を入手できる講義)の情報や、期末試験の過去問などの情報も得づらく、単位の取得やGPA(評価の平均値)にも苦労しました。ちなみにGPAは、将来の研究室配属に関わってくるので、「柔軟性の高い研究室」「人気の分野を研究する研究室」の争奪戦では高いGPAを叩き出すことが大学生活に大きく作用するのです。

話は変わりますが、大学生になって行動範囲が増えたことは、必要なお金が増えることも意味します。ご飯代、趣味に充てるお金、通信費、将来の貯金...
自分で使えるお金を増やすため、塾講師のアルバイトに挑戦。地元の個別指導塾へ。
しかし、ここでも未自覚のADHDやASDが問題に。一生懸命説明したところで相手にはうまく伝わっておらず、また、うまく伝わっていない状態を私自身が自覚できていなかったようでした。結局、生徒側の要望で3ヶ月でクビに。

退職時、塾長(上司ですね)からこんな一言を。

「今のはるぺど君は多分社会に向いていないよ」

はぁ?何言ってんのこのオッサン!?と内心キレていましたが、当時の自分がこれを、将来のはるぺどに対するお告げだったとは知る由もありませんでした。

その後のアルバイトは派遣のものを中心に、空いた時間で倉庫内での軽作業(重労働です)をメインに取り組むことに。一緒に働く人の当たり外れはあるものの、「まずこれをして、次はこれを行う」と何をするかが明確で例外がほとんどない業務内容は、自分に合っているものでした。ただ、次の日は何もできなくなるという問題点つきですが...

どこかでやらかしを起こしつつも、「自分を変えたい!」という思いは相変わらず強いため、合コンの誘いにも乗ったことがあります(人付き合いを機に、自分が変わればいいなと思った)。ただ、今思えばあれは人数合わせ枠で、かつお笑い枠だったのかもと思い、それがわかった瞬間はめちゃくちゃ落ち込みました。良くも悪くも正直で、言葉や行動を真に受けてしまうので、それらの裏の意味を読むことは今でも難しいのです。
(例えば、「本音と建前」「お世辞」など。あんなもの無くなれば良いのに。)

そんなこんなで「講義」「部活」だけの学生生活に戻りました。「講義」と書けばさぞガリ勉で学問に打ち込んでいるように見えますが、はるぺどは要領が悪い(当時の自分も分かっていた)ので、人より多く準備して、結果は人並みかそれ以下か、といった感じでした。おまけに何か集中力を奪うコンテンツが目に入ると、満足するまで止めない悪いクセが頻繁に起きるようになりました(これはADHDでしょう)。

そして大学2年生になると、必履修科目を含めた講義の単位を落とすことが増え、そして親と兄弟に怒られることが増えました。それによるストレスを発散するべく、ゲームにSNS、動画コンテンツ、食欲にリソースを割くという悪循環に。同じ学科の知人とも仲違いしたことや、ストーカーまがいと捉えられる行為(これはちゃんと和解しています)もあり、様々な場所で孤立や対立など問題をあれこれ抱える問題児(児、と表現するには年齢的におかしいかもしれませんが)と化したのです。

ちょうどその頃、あのADHDの青年を描いた動画広告を思い出しました。

予定を立てて行動するのが難しい
部屋が散らかり整理できない
思いつきで行動しやすい
グループから孤立しやすい

やはり自分にはこの傾向があるのではないか...?
でも、いきなり病院はハードルが高い。そう思いあれこれ調べたところ、大学内に心理カウンセラーの方がいらっしゃるとのこと。

「自分は発達障害かもしれない」ことを伝え、カウンセリングと傾向の調査を行っていただくことに。

次回以降は大学生時代の後半のお話になります。カウンセリング、研究室、就活と話が続きます。


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