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『資本主義の家の管理人』~市場の時代を乗り越える希望のマネジメント 第14回 第三章 働く 第十一節 自由の本能を解き放つ

第三章 働く

第十一節 自由の本能を解き放つ


<第三章 構成>

第九節 中世のレンガ積み職人とメキシコの漁師
1.生産の三要素:土地、労働、資本
2.人間が働く理由とハンナ・アーレントの「労働(Labor)、仕事(Work)、活動(Action)」
3.働くを支えるもの:他者、未来、場所

第十節 受け取ったものと受け渡すもの~バランスシートで考える働く意味
1.貸方(Credit):働くために受け取ったもの
2.借方(Debit):未来の誰かに受け渡すもの
3.働く意欲とエネルギー:貸方と借方の循環と均衡

第十一節 自由の本能を解き放つ
1.根っこを作る:土、水、光
2.翼を与える:海図、ルール、情報
3.信頼を育む:デール・カーネギーの『人を動かす』


第十一節 自由の本能を解き放つ 

「小さい時には根っこを与えよ、大きくなったら翼を与えよ」

(中世ヨーロッパの格言、出典不詳)

前の2つの節では「働くことの意味と理由」を考えてきました。本節では、人が「良く働くために必要なもの」について考えますが、その前に、もう一度前節までの論点を整理しておきます。

・生産の三要素は「土地」「労働」「資本」であり、資本は土地と労働から生まれる。財務諸表上、土地は資産(固定資産)、労働は費用(製造原価または人件費)、資本(狭義の資本)は資本金と内部留保だけだが、実際にはどれもが生産に不可欠な資本(広義の資本)である。
・人間の労働には、罪人や奴隷などの「非人間的労働」、生命維持のための「必然的労働」、契約に基づく「義務的労働」、何かを創り出す「生産的労働」、誇りを求める「社会的労働」がある。3人目のレンガ職人とNASAの清掃員は働くことに誇りを持っており、「メキシコの漁師」はそうではない。誇りは他者や未来とのつながりから生まれる。
・人間は、自分で獲得した自己資本と他者や社会や自然が与えてくれた負債をもとに活動している。負債を資産に換え、資産を資本として活用し、価値(生産物とさらなる資本)を生み、価値を増やして誰かに受け渡す。それが「働く」のバランスシートである。
・受け取ったもの(貸方)と受け渡すもの(借方)の均衡を保ち、循環させる。この均衡と循環が人間の働くエネルギーを創り出す。
・農耕牧畜における「土地」は、現代社会においては「場所」である。場所が労働に価値をもたらす。

本節では、良く働くために必要な「場所」とは何かをもう少し踏み込んで考えてみます。

1.根っこを作る:土、水、光

「小さい時には根っこを与えよ、大きくなったら翼を与えよ」。中世ヨーロッパのこの格言は、人間が成長して社会に羽ばたいていくために必要なものは何かを伝えています。

幼児が立ち上がろうとするのは、親の指示や命令によってではありません。「立ちたい」、「立ちあがろう」という幼児自身の思いによって、何度も転びながらやがてバランスのとり方を覚え、立ち上がることに成功します。立つことに成功したら、次は「歩こう」と思い、やはり失敗を繰り返して歩く力を身に付けていきます。幼児の「立とう」、「歩こう」という気持ちは、誰かの強制や命令によるものではなく、生まれながらにして備わっている人間の本能です。

立ち上がろうとするのは、寝ころんだままでは見えないものを見たいからであり、歩こうとするのは、自由に移動して新しいものを見て、手の届かないものに触りたいからです。見たい、知りたい、感じたいという本能によって、幼児は立ち上がり、歩き始めます。

立ち方や歩き方は一人ひとり違っても、「立とう」「歩こう」とする気持ちは人間の生命力であり、誰もが持っています。しかし、作物と同じように、人間の生命力にも、光や水、土や栄養が必要です。どんな家庭に生まれ、どのような教育を受けるかが、幼児の成長に大きな影響を与えることは明らかです。

人間の場合、光は周囲の関心であり、水は愛情であり、土は組織文化、栄養は教育や支援に置き換えられます。両親や友人や社会が自分に関心を持ってくれているか、大事な人から愛されているか、帰属する集団の文化は健全か、必要な教育や周囲の支援は得られているか。このどれかが不足すれば、すくすくと育つことは難しいでしょう。

大木には太い根っこがありますが、根っこを太くするのが光と水と土壌と栄養です。生命力は生まれながらにして備わっているので、もし根っこが細いなら、その原因は作物自体にあるのではなく、生命力を育むものが足りていないからです。

強いトップの会社ほど人材が育たないのはよくある現象ですが、それはトップという大木が、光を遮り、水や栄養を吸収してその他の木々に行き渡らなくなっているからです。大木が朽ちて倒れると、他の木々に光が当たって風が吹き抜けるようになり、土壌の養分を吸収した新しい木々が育っていきます。

光や水や土や栄養を与えることは、過保護ではありません。過保護とは添え木を添えることであり、老木を支えたり、傷んだ幹や枝を一時的に保護するためのものであって、添え木が太い根っこを作ることはありません。関心や愛情を寄せ、教育や支援を提供し、健全な組織文化を整えることが、「立とう」「歩こう」という生命力を引き出し、太い根っこを作り、やがて大木に育つのです。

2.翼を与える:海図、ルール、情報

根っこを生やした子どもは、成長し、家庭から学校へ、そして社会へと、活動の範囲を広げていきます。

大人になれば、自ら判断し行動することが求められるようになりますが、多様な価値観や利害の交錯する人間社会では正解を見つけるのは容易ではありません。特に情報があふれかえる現代社会は、選択肢が増え、真実が見えにくいので、自分の答えを見つけることがますます困難になっています。考えることに疲れ、不安に襲われ、ついつい誰かの答えや意見に従って目の前の現実を処理しようと考えたくなります。

しかし、無意識か意識してかを問わず、自分の頭で考えることをやめ、他者の意見や決定に従って生きることは、自らの自由を放棄する行為であり、人間であることを否定する行為なのです。

自由には、つねに考える苦しみや選択する苦しみが伴います。誰かが出した答えに乗っかり、誰かが決めた選択をただ受け入れるだけの人が増えれば、社会の多様性は失われ、異なる意見や価値観は排除され、全体主義の方向に向かい始めます。ファシズムや冷戦期の東側諸国、今も独裁者が強権をふるう国家を見れば、自由と多様性を否定した集団の恐ろしさは明らかでしょう。

会社という集団も同じです。上位下達で皆が社長や上司の言うことに従うだけの会社は、全体主義の国家と何ら変わることはない。会社が活力と持続力を保つには、自由と多様性が絶対的に不可欠です。

では、この複雑で情報が氾濫する現代社会において、どうすれば人は考え、自分の答えを持ち、自由と多様性を保つことができるでしょうか。そして社会は、そういう自由な人々が共感し、協力する場所となれるのでしょうか。

個人の自由と社会の関係はとてつもなく大きな問いであり、近代以降の哲学の中心テーマの一つですが、この問いは、人が働く意味と組織のマネジメントを考える時、決して避けて通ることはできません。

個人と社会はどちらが優先され、どのように調和されるのか。

一人ひとりの人間が集まって社会が形成されることを考えれば、最初にあるのは人間です。人間の思考や判断、行動が束になり、社会が作られていくのであり、人間が良く生きることを後回しにして良い社会ができることはありません。

ルネッサンスやフランス革命、アメリカ独立戦争や奴隷制の廃止、植民地の解放運動や冷戦の終結など、人間は、自由と独立、そして人としての尊厳を求めて歴史を動かしてきました。歴史上の重要な出来事の根底には、自由を求め、誇りを持って生きたいという人間の強い思いがあります。

しかし、自由と多様性を解放するだけでは大きな価値は生まれません。人間は社会的動物であり、互いに共感し協力しようとする習性を持っているので、自由な個人を束ねる「何か」が必要です。自由な個人の存在を前提に、その人々が互いに共感し、協力し合うための枠組みを整える。その枠組みが、「大きくなったら翼を与えよ」の「翼」です。

会社においては、理念、規範、ルール、制度、そして判断の拠り所となる情報が、この「翼」に当たります。

理念や規範は大海に漕ぎ出すための海図、ルールや制度は船が互いに衝突せず自由な航海をできるようにする警報、情報は船の速度を上げたり落としたり、どの航路を取るのが安全かを判断をする天気予報や気象情報です。

翼を手にすることによって、進むべき進路が明らかになり、予測可能性が高まり、仲間の存在を感じて互いの関係を計り、安心感に支えれれて心置きなく遠くまで船出することができるようになります。もちろん翼が活きるのは、人間に「立とう、歩こう」という、自由になりたいという本能があるからです。

個人の自由と社会の秩序は対立概念ではありません。判断の根拠となる翼があることで個人はより自由で調和のとれた判断ができるようになり、社会に調和と活力が生み出される。両者はこのような関係にあるのだと思います。そして、マネジメントがこの両者の交差点に立つ重要な役割を担うのです。

3.信頼を育む:デール・カーネギーの『人を動かす』

理念、規範、ルール、制度、情報が、自由を担保し、多様な自由を調和させて社会に付加価値をもたらすものであることは、ここに述べた通りです。

さらに、人が誇りをもって働くためにもう一つ大切なものがあります。それは信頼です。

対人関係論の名著『人を動かす』("How to win friends and influence people"、1936年)の中で、著者のデール・カーネギーは、良い人間関係を構築するために必要なこととして、以下の6つを挙げています。

①相手に対して誠実な関心を寄せること
②笑顔で人に接すること
③名前というものは、当人にとって最も快い、最も大切な響きを持つものだということを忘れないこと
④聞き手に回ること
⑤相手が関心を持っていることを見抜いて話題にすること
⑥相手に重要感を与える、しかも誠意をこめてこれを行うこと

もし苦手に思っている誰かから、このように名前を呼ばれ、笑顔で話しかけられたら、相手が自分が関心を持っていることを話題にし、熱心に話を聞いてくれたら、あなたはどんな気持ちになるでしょうか。そう考えただけで、関心と敬意をもって接することが、良い人間関係を築くうえでいかに重要かがわかります。誰かと人間関係がうまくいっていない時、もしこの内の一つでも実践出来たら、お互いの関係は魔法をかけられたように劇的に改善します。それは私が組織で仕事をする中でしばしば実際に体験したことでもありました。

『人を動かす』という邦訳のタイトルから、この本は自分の思うままに人を動かすノウハウを伝えているように思うかもしれませんが、そうではありません。ノウハウやテクニックでも人を動かすことはできるかもしれませんが、それで信頼を築くことはできません。功利的な関係は、利益がなくなれば誰も支援や協力はしてくれません。信頼に基礎を置かない関係は少し風向きが変わればあっという間に壊れ去りますが、信頼関係が築かれていれば、相手は利益がなくても喜んで協力してくれます。信頼関係が築かれていれば、相手に協力することがその人の喜びになるからです。

昨今深刻な社会問題になっているハラスメントは、こうした信頼関係の構築に失敗した好例です。無理やり相手を従わせようとしたり、自分の思ったとおりに動かそうとする結果、ますます相手の信頼は遠のき、ますます立場や権力によって力ずくで相手を従わせようとするのです。個人の自由や誇りを奪うこうした人間関係のアプローチは、社会を疲弊させ、衰退させていきます。

マネジメントに携わる人は、カーネギーの伝える言葉の重さを常に忘れないようにしておかなければなりません。信頼が互いの関係を深め、働く喜びをもたらすのです。


<第三章 働く まとめ>

この章では、働くことの意味と理由、人が良く働くために必要なものは何かを考えてきました。

人間の労働は本質的に広義の資本であること。

人間は単なる生命維持や義務のためだけでなく、何かを生産したい、誇りをもって生きたいという思いで働くこと。

人間に誇りをもたらすのは他者や社会や未来とのつながりであり、良い場所の存在がその役割を果たすこと。

働くエネルギーを生み出すのは、自分が受け取った負債を価値ある資産に換えて未来の誰かに受け渡す循環と、受け取ったものと受け渡すものの均衡を保とうとする力であること。

人間の本能である自由を解放して自由に飛び立つために必要な「翼」(理念、規範、ルール、制度、情報など、共感を形成し連携や協力を生み出す仕組み)を与えることで、個人の自由と社会が調和し、活力ある良い社会が作られていくこと。

そして、良く働くことの基礎には信頼関係が不可欠であること。

まとめると、ここで考察したのはそんなことでした。

3人のレンガ職人とNASAの清掃員、メキシコの漁師の寓話は、私たちに働くことの意味とそれがもたらす価値、そして個人の自由と社会との関係について深く考えさせてくれます。

働くことをどう捉えるか、どのように働きたいかはその人次第です。しかし、誇りを持って働く人が多いほど、社会が健全で活力を持つことは間違いありません。

会社とそのマネジメントは、人が誇りを感じて働き、労働が付加価値を生み出す「場所」を創出する、現在だけでなく未来の社会に対しても大きな役割を負っているのです。


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