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『資本主義の家の管理人』~市場の時代を乗り越える希望のマネジメント 第12回 第三章 働く 第九節 中世のレンガ職人とメキシコの漁師 

第三章 働く

第九節 中世のレンガ職人とメキシコの漁師


<第三章 構成>

第九節 中世のレンガ職人とメキシコの漁師
1.生産の三要素:土地、労働、資本
2.人間が働く理由:ハンナ・アーレントの「労働(Labor)、仕事(Work)、「活動(Action)」
3.働くを支えるもの:他者、未来、場所

第十節 受け取ったものと受け渡すもの~バランスシートで考える働く意味
1.貸方(Credit):働くために受け取ったもの
2.借方(Debit):未来の誰かに受け渡すもの
3.働く意欲とエネルギー:貸方と借方の循環と均衡

第十一節 自由の本能を解き放つ
1.根っこを作る:土、水、光
2.翼を与える:地図とルールと情報
3.信頼を育む:デール・カーネギーの『人を動かす』

第九節 中世のレンガ職人とメキシコの漁師


1.生産の三要素:土地、労働、資本

古典経済学では、人間の生産活動は、「土地」と「労働」と「資本」によって行われるとして、これを「生産の三要素」と呼びました。人間の労働が大地から生産物を生み出し、生産物が利潤をもたらし、剰余の利潤が投資に回って資本を形成していく。これが基本的な生産活動のサイクルです。

生産の三要素

狩猟採集時代の労働は、何かを生み出すものではなく、自然の生産物を手に入れるものでした。生産はただ自然だけが行っていました。それが農耕牧畜社会になると、人間が自然に働きかけて生産物を増やすようになります。増えた生産物が交換されて利潤を生み、利潤が新たな生産手段に投資されるようになり、生産が拡大し、利潤が増え、資本が拡大し、さらに生産が拡大するという、経済の循環が生まれます。

土地・労働・資本による経済の循環

最初にあるのは土地と労働で、資本は後からもたらされるため、土地と労働は「原初的生産要素」、資本は「生産された生産要素」と言われます。この「生産された生産要素」としての資本は「狭義の資本」であり、土地と労働は、生産物と狭義の資本を生み出す「広義の資本」です。この3つは同じように生産活動の基盤的要素であるという点で、どれもが広い意味での「資本」です。

しかし、不思議なことに、会社法や会計基準によって定義された会社では、この関係が逆転しています。

会社法も会計基準も、生産に必要な土地と労働は、設備や機械と同様に資本金によって調達すると考えます。初めにあるのは「資本」(資本金=狭義の資本)であり、土地は貸借対照表上、資本金によって購入された「固定資産」であり、労働は貸借対照表には載っておらず、損益計算者に「費用」(製造原価または人件費)として計上されています。

会社法において、出資者とは株主(持分会社における持分保有者)を言い、株主以外に資本の提供者は存在しません。多分、土地や労働を提供する地球や労働者も出資者にしたら法律構成が成り立たなくなるので、株主だけを出資者と決めたのだと思います。

見えない会社を可視化し、定義づけ、運用方法を定めることは、社会の中で会社というフィクションを効果的に活用するために不可欠であり、法律や会計ルールがそのための重要な役割を果たしていることは言うまでもありません。しかし、現実のマネジメントにおいては、そうした会社像だけに頼っていたら良いマネジメントはできません。

しかし、土地も労働も広義の資本であると考えれば、働くという行為の別の側面が見えてきますし、地球も労働者も広義の出資者であると考えれば、それらに対する向き合い方も変わります。株主主権や企業価値の数値化への偏重は、会社法や財務諸表のバイアスがかかった会社像に基づくもので、現実のマネジメントにおいては、そうした会社像を視野に入れた上で、さらに見えないものを推量し、バランスのよい会社像を持つことが求められます。

市場の時代は、あらゆるものを商品とし、商品を増やして取引を拡大することで経済を成長させようとします。土地や労働も、市場に持ち込めば商品になり、それを提供する地球や労働者は市場では「商品の売手」になります。もちろん資本金も株券という商品になるので、すべての資本は商品になり得るのですが、それは生産の三要素に示されたような資本の本質ではありません。商品は消費され、資本は何かを創り出す。土地も労働も、その本質は商品ではなく資本なのです。

さらに生産の三要素における「土地」の意味をもう少し掘り下げて考えてみましょう。

「序章 市場の時代を生きる私たち」の最初に紹介した、アメリカインディアンの英雄テカムセの言葉(「土地を売る? もし土地を売るなら、なぜ大気や雲や大洋も売らないのか」)は、自然を人間の所有権の対象と見なす資本主義の世界観を痛烈に批判したものでした。この問い掛けは、環境問題が深刻化する現代においてますます重みを増していますが、ここではその議論はさておき、「土地」は現代社会においてどのような意味を持つのかを考察します。

土地が人間に様々な恵みをもたらすことを「母なる大地」という言葉で表現しますが、この他に、土地は、人間が集い、協力して何かを生み出す「場所」という機能を果たします。土地は、LandやEarthであると同時に、Placeでもあるということです。

「場所」には、家庭、学校、地域社会、国家など、実際に存在位置を示すことができるものもあれば、理念や哲学、宗教や歴史など、人間の頭の中にだけ存在する抽象度の高い概念もあります。いずれも共通するのは、人が集い、知識や意見を交換し、協力して何かの価値を生み出す中心であることです。もちろん会社も代表的な「場所」のひとつです。

農耕牧畜時代の労働に土地が必要であったように、産業社会における労働には場所が必要です。一人で働く孤高の職人も、その作品はそれを支持する人たちの場所があって価値が生まれます。場所の存在が人間の労働に大きな価値をもたらすのです。そして、良い場所では価値が蓄積され、熟成していきます。

労働を費用と見なすか、会社を市場(「商品」の交換所」と考えるか、それとも労働を資本と見なし、会社を場所(知識や情報の交換によって価値を生み出す中心)と考えるか。働く意味をどう考えるかでその答えは変わりますが、良い社会を創り出すのがどちらかは明らかだと思います。

2.人間が働く理由:ハンナ・アーレントの「労働(Labor)、仕事(Work)、「活動(Action)」

人はなぜ働くのか。

もちろん答えはひとつではないでしょうが、誰にも共通する理由は「生活の糧を得るため」でしょう。生きていく上で最低限必要な食べ物、衣服、住居などを手に入れるためには働くことが不可欠です。

しかし、生きるために必要な食べ物や衣服、雨風をしのぐ住居を手に入れても、人は働き続けます。健康、安全、娯楽、教養など、もっと豊かに暮らせるものが欲しいと思うからです。

では、仮に宝くじに当たって10億円を手にしたら、親から相続した遺産で毎年1億円の収入があるとしたら、あなたは働き続けるでしょうか。それでもおそらく、多くの人は「働き続ける」と答えるでしょう。豊かな生活を送るには10億円では不十分だからではありません。仮に100億円の収入があっても、多くの人は働き続けます。使いきれないほどの収入があっても、人が働き続けるのはなぜでしょうか。何を求めて人は働き続けるのでしょうか。

生活の糧を得るために、生命を維持するためにという動機以前にも、人が働かねばならない理由があります。それは、懲罰的労働と奴隷的労働です。前者は罪を犯したことへの懲らしめや戦争捕虜などの労働であり、後者は支配され自由を奪われて働く労働です。これらは働く人の基本的人権を認めない非人間的労働なので、「人はなぜ働くのか」という問いの対象から外すことにします。

生命維持のための「必然的労働」以外に、契約で合意した義務を果たすための「義務的労働」があります。会社の従業員は、雇用契約に基づく義務を果たすために働かなければならず、その労働をしたいかしたくないか、楽しいか楽しくないかは関係ありません。

では、義務さえ果たしたら人はそれ以上働かないでしょうか。それでも人は働きます。人間には、自分を表現したい、何かを残したいという思いがあり、おもしろい製品や優れた事業や芸術作品を作り出そうとして働きます。これは個人の自由意思による「生産的労働」です。

最後の働く理由が「誇り」です。生命や義務や自己表現とは別に、自分が価値ある存在であることを確認するために、他者から認められ尊ばれるために、つまり自己の尊厳を求めて人は働きます。いかに自由でも、他者の承認が得られなければ、人は自分を価値ある存在と感じることはできません。他者や社会からの承認、つまり社会とのつながりが人間に生きる意味をもたらしてくれるのです。ここではこれを「社会的労働」と呼ぶことにします。

働く理由①

第三節に登場した政治哲学者のハンナ・アーレントは、1958年の著作『人間の条件』の中で、人間の基本的な活動力として、「労働」「仕事」「活動」の3つを挙げています。

アーレントの「労働 」(Labor)とは、飢えや寒さをしのいで基本的な生存要件を満たすための消費的な活動です。それは自己実現や尊厳につながるものではなく、動物的レベルでの人間の活動であるとアーレントは考えました。

「仕事」(Work)とは、芸術作品の制作や事業の創造、社会システムやインフラの構築など、形となって残る何かを作り出す活動です。「仕事」は、生物としての生存には必ずしも必要ないが、人間生活や社会の構築に関わり、「労働」に比べて人間の存在をより豊かで意味あるものにするものです。

三つ目の「活動」(Action)とは、意見や思想を他者と交換して社会を形成していく政治的な活動です。「活動」は、人間が自分の意思や価値観を表明し、他者とのコミュニケーションや対話を通じて自己の存在を確認し、多数の他者との関わりを通じて社会を構築していくプロセスです。アーレントの考えでは、「活動」こそ人間が人間であるために最も重要な条件でした。

アーレントの「労働」「仕事」「活動」を先ほどの人間が働く6つの理由に対比させると、以下のようになります。

働く理由とアーレントの『人間の条件』

アーレントの言う「労働」は、「懲罰」「強制」「生命維持」「義務」に対応し、それは何かを残すものではなく、消費されて消え去るものです。

「仕事」は「生産的労働」に、「活動」は「社会的労働」に対応します。この2つは消費されて消え去るものではない何かを作り出す労働であり、この「作り出す」という意味において、労働は資本であるという主張が説得力を持つことになります。

働くという行為は、究極的に人間が誇りを持って生きていくために必要となるものであり、その誇りをもたらすのが、他者とつながって人間社会を構築していくプロセスです。

誇り、他者とのつながり、社会の構築。これが、人のマネジメントという仕事のもっとも重要な役割になります。

3.働くを支えるもの:他者、未来、場所

では、人間の誇りはどのように育まれるのか。次にそのことを考えてみます。

「3人のレンガ職人」という有名な寓話を聞いたことがある人も多いでしょう。

中世のヨーロッパのある町の建築現場で、3人のレンガ職人がせっせとレンガを積んでいました。近くを歩いていた通行人が「何をしているのか」と尋ねると、一人目の職人は「見ての通り、レンガを積んでるのさ」と答え、二人目の職人は「お金を稼いでいるんだよ」と答え、三人目の職人は目を輝かせて「後世に残る大聖堂を建てているんだ!」と答えたというお話です。

「NASAの清掃員」という別の同じような話もあります。

NASA(アメリカ航空宇宙局)を訪れたジョンソン大統領(第36代大統領リンドン・B・ジョンソン)が、建物の廊下を楽しそうに掃除している清掃員を見つけました。不思議に思って、「何でそんなに楽しそうに掃除をしてるんだい?」と聞くと、清掃員は答えました。「大統領、私はNASAの一員として、人類を月に運ぶ手伝いをしています。とても夢のある、素晴らしい仕事をしているんです」。

実話かどうかはさておき、この2つの小話が何を伝えようとしているのかは明らかでしょう。

3人のレンガ職人は、同じように働いていますが、見えているものが大きく違います。

一人目の職人に見えているのは、レンガを積んでいる瞬間と自分、二人目の職人に見えているのは、職場を離れた自分と家族の生活、三人目の職人に見えているのは、数百年後もその場所にそびえたつ大聖堂と、そこに集まり祈りを捧げる未来の人々です。

NASAの清掃員に見えているのも、足下の廊下のごみではなく、遠くからぬ未来の月面に降り立つ宇宙飛行士と、NASAで働く仲間たち、そしてその偉業に喝采する無数の世界中の人々です。

三人目のレンガ職人も、NASAの清掃員も、見知らぬ人々や未来とつながる自分を感じており、そのつながりが彼らに働く誇りを感じさせているのです。

これとは別に、もう一つ、おもしろい寓話があります。この話もいろいろなところで紹介されているので、ご存知の方も多いかもしれません。

メキシコの沿岸のある小さな漁村で、MBAを持つアメリカ人エリートコンサルタントが漁師と出会います。漁師の船には獲れたての大きなマグロが繋がれていました。

コンサルタントは漁師に尋ねます。「その獲物を摑まえるのに、どれくらい時間がかかったんですか?」
メキシコの漁師は答えます。「2-3時間かな」
コンサルタント:「なんでもう少し長く海で働いて、もっと多くのマグロを獲らないんですか?」
漁師:「家族を養う分が獲れればそれで十分さ」
コンサルタント:「海に出ない時は何をしてるんですか?」
漁師:「朝寝坊して、子どもと遊んで、妻とゆっくり昼食をとり、夕方になったら村を散歩して仲間とワインを飲みながらギターを楽しむんだ。とても充実した毎日だよ!」
コンサルタント:「あなたに助言しましょう。まず、あなたはもっと漁をする時間を長く取るべきです。そして、大きな漁船を買いましょう。そうすればもっと魚を獲ることができ、さらに多くの船を買うことができます」
コンサルタント:「獲れた魚は仲介業者を通さず、加工業者に直接出荷しましょう。自分の工場を作れば、収穫から加工、流通まですべて自分でコントロールできるようになります。そして、この小さな漁村を離れて、ニューヨークで大きな会社を経営するんです」
漁師:「そうなるまでにどれくらい時間が掛かるかね?」
コンサルタント:「15年から20年くらいですかね」
漁師:「その後は?」
コンサルタント(興奮気味に):「ここからが最高なんですよ。会社を上場させて億万長者になるんです!」
漁師:「なるほど。で、その次は?」
コンサルタント(満面の笑みを浮かべ):「そしたら、大金を持って早期リタイヤですよ。あなたの好きなことがなんでもできます。朝寝坊して、子どもと遊んで、奥さんとゆっくり昼食をとり、夕方になったら村で仲間とワインを飲みながら、ギターを弾いて楽しむんです!」

この笑い話から、あなたはどんな教訓を得るでしょうか。事業を成功させることには大きな価値があるからコンサルタントの助言は正しいと考えるか、メキシコの漁師のように、15年以上も楽しいことを我慢して働き続けるより、今の毎日を楽しむことの方が大事だと考えるか。

ここで考えたいのは、コンサルタントと漁師のどちらが正しいかではなく、三人目のレンガ職人やNASAの清掃員とメキシコの漁師の違いは何かです。

その違いは他者や未来とのつながりです。レンガ職人とNASAの清掃員は、見知らぬ他者や未来とつながっているのに対し、メキシコの漁師にはそのようなつながりはありません。レンガ職人と清掃員は自分の労働に「誇り」を感じているのに対し、メキシコの漁師にとっての労働は「生命維持」かせいぜい家族を養うための「義務」なのです。

働く理由②

働くことに何を求めるかは、それぞれの人が自分の価値観に従って自由に決めればよいことです。メキシコの漁師のように、労働は生活維持のための必要最小限に留め、あるいは義務を果たす以上のことはしないと決め、他に喜びを見つけて生きるのももちろん否定されることではありませんし、どちらかに優劣をつけるべきものではありません。

しかし、もし誇りを感じて生きたいなら、生命維持や義務のレベルを超えて、価値あるものを創り出す喜びと、他者とつながって社会を構築するという労働の意味を知ることが不可欠です。

生産の三要素において、労働に価値をもたらすのは土地の存在でした。現代社会においては、良い「場所」の存在がつながりを作り、働くことに誇りをもたらします。

そして、会社が人間社会を構成する最も重要な場所のひとつであることは言うまでもありません。会社のマネジメントとは、まさにこの意味において、良い社会を作る仕事なのです。

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