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『資本主義の家の管理人』~市場の時代を乗り越える希望のマネジメント 第4回 第一章 見ることと考えること 第一節 世界の解像度を上げる

第一章 見ることと考えること

第一節 世界の解像度を上げる~見ることからすべてが始まる


<第一章 構成>

第一節 世界の解像度を上げる~見ることからすべてが始まる
1.80億個の世界像
2.3次元の視点、4次元の視点
3.見えないものに思いを馳せる

第二節 人間の2つの本能~私益の追求と他者との適合性
1.アダム・スミスが見ていた世界
2.発展のエネルギーと秩序のエネルギー
3.小さな自由と大きな自由

第三節 最良の奴隷にならないために~考えて自由になる
1.自由の前提その1:考える
2.自由の前提その2:他者の存在
3.自由の前提その3:ルールの裏にある規範
4.自由の全体その4:貨幣と言語


第一節 世界の解像度を上げる~見ることからすべてが始まる

見るために生まれ、見ることを定められ、この塔に誓いを立て、私の心は世界と重なる

(ゲーテ『ファウスト』より)

1.80億個の世界像

この世に生まれ落ちた瞬間から、私たちは五感を使って世界を感じ取ろうとします。窓から差し込む陽光のまぶしさ、知らない大人の話し声、体を包むタオルの柔らかさ、横の母親の懐かしい匂いや温かさ。小さな自分の主観を通じて大きな世界を認識しようとします。

目で見、肉体で感じ、言語を使って概念化することで対象がより精緻に見え、私たちの世界像が形成されていきます。中でも人間の認識の8割は視覚に依存していると言われており、世界を把握するために一番重要なのが見る力です。

人間は、物質や、他者や、社会や、自然に囲まれて生きており、私たちは様々な対象と固有の関係を結んでいます。着ている服や、座っている椅子や、手に持つペンの素材や色や形状が、快適だったりそうでもなかったり。そうした一つひとつの関係や体験が集積して、私の世界像が形成されます。人に対しても、社会に対しても、自然に対しても同様です。

地球上の80億人の人は、それぞれが自分を取り囲む対象と固有の関係を結んでおり、80億個の世界像が存在しています。私には私の見えている世界があり、AさんにはAさんの見えている世界があります。

人間と世界の関係

その人を取り巻く、物、人、社会、自然との関係の積み重ねは、その人の世界像となり、無意識のうちにその人の感情や思考、判断や行動を決定づけています。

次の図を見てください。当たり前ですが、左は丸、右は三角です。

丸か三角か

左は円すいを真上から見た形であり、右は真横から見た形です。同じ円すいでも、見る角度によって違う形に見えるように、世界も視点を変えれば違う姿を現します。

私がいて、私の前に物理的な世界があるとしましょう。私は物理的な世界を私の主観によって捉えています。私にとって、世界とは私に見えるもの、私の認識するもの、つまり私の主観でしかありません。

私の世界像

ユリウス・カエサルは、「人間なら誰も、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は自分が 見たいと思う現実しか見ていない」と言っています。私たちは、自分に見えている世界が真実であり、自分には世界のすべてが見えていると思いがちですが、世界像がぼやけていたり、部分を全体だと信じ込めば、私たちの思考は歪み、判断は誤り、行動は無謀になります。思考力や判断力を高め、的確に行動するには、見る力を備え、世界の解像度を上げる必要があります。

冒頭の引用は、ゲーテの『ファウスト』の終幕近くに登場する望楼守の言葉です。

望楼守は、高い塔の上から遠くの風景や出来事を見守る人を言いますが、この一節は、人間が世界像の形成を業として生きる存在であることを詩的に鮮やかに示しています。

人間は、見るために生まれ、見ることを定められ、この塔(自分の生きている場所)を持ち場として与えられ、そこから見える世界と自分を重ね合わせて生きているのです。

2.3次元の視点、4次元の視点

さて、物理的な世界は実際どんな形をしているのでしょうか。それは誰が見ても同じ普遍的な形をしているのでしょうか。

例えば、魚には世界がこのように見えています。

魚に見える世界

水中で暮らす魚の眼球は、地上で暮らす人間と水晶体の形が異なるため、人間に直線に見えるものが魚には湾曲して見えます。また、目の位置が顔の両側にあるため、魚には人間には見えない広い範囲が見えています。同じものを見ても人間と魚では見える形や範囲が違うのです。

鳥はどうでしょう。鳥は紫外線が見えるので、鳥の目に映る世界は人間に見える世界とは違う色をしています。また、空を飛びながら敵から身を守り、遠くのえさを見つける必要がある鳥は、動体視力に優れ、遠くや速く動くものはよく見えますが、近くの静止物はあまりよく見えません。飛んでいる鳥が窓に激突したりするのはこのためです。

動物の目はそれぞれ構造が違うため、人間には直線に見えるものが曲線に見えたり、青く見えているものが赤く見えたりしています。直線か曲線か、青か赤か。果たして真実はどちらでしょう。答えは「どちらも真実である」と言うしかありません。

人間と魚であれば言い争うことはなくても、人と人はぶつかります。同じものを見て直線に見える人と曲線に見える人では、対立や不信感が生まれます。意見が衝突するのは、相手に見える世界が違う形をしているからです。議論の対象をいろいろな角度から眺めることができれば、多くの場合対立は解消します。円すいの例でみたように、対象を3次元の視点で捉えるということです。

さらに世界像の解像度を上げるためには、4次元の視点で見ることが大事です。目の前の伐採されたアマゾンの森林は、100年前なら産業の発展の証であり、誇らしく見えたかもしれません。今ならそれは恐ろしい環境破壊の象徴に見えるでしょう。100年後の私にその景色はどう見えるでしょうか。江戸時代の東京と現在の東京はどう変わり、100年後の東京はどう変わって見えるでしょうか。過去・現在・未来という4次元の視点で見ることで、秘められた豊かで深い陰影を読み取ることができるでしょう。

3.見えないものに思いを馳せる

私たちの視界に絶え間なく入ってくる情報の多くは、ただ見えているだけで、意識されず消えていきます。自分と対象の関係は、意思を持って見た時に初めて生まれます。見る意思によって世界を浮かび上がり、その人の世界像が形成されるのです。

何だろうと思う好奇心。それが世界との関係の始まりです。五感で捉えた対象を言語で概念化し、概念化したものを分析して他者と情報を交換し、対象の解像度を上げていかに対処すべきかを判断し、そして行動します。見る意思がなければ対象は見えず、対象が見えなければ認識も判断もできません。見て判断するプロセスの精度が低ければ、それに続く行動は的外れなものになるでしょう。

人間の行動プロセス

見る力を磨く上で大事なのは、自分には見えていないものがあると意識することです。「群盲、像を撫でる」の言葉の通り、いかに努力しても人間には世界の一部しか見えません。見えているものより見えていないものの方がはるかに多いと知っていれば、角度を変えて対象を見たり、他者に見えているものを教えてもらったりして、より精度の高い世界像を得ることができます。

それでも、見えない部分はどうしても残ります。この見えない部分を埋め合わせるのが人間の想像力であり解釈です。すべての人が同じものを同じ位置から見て、見えていない部分を同じように想像し解釈していたら、そこから新しい気づきや発見は生まれません。この見えない部分の想像と解釈に人間の自由があります。もし、想像や解釈が禁じられたら、人は自由を奪われたと感じ、皆が同じ想像や解釈をしていたら、世界は単調でつまらないものになるでしょう。自由も感動もない社会には発展や繁栄はありません。

見えないものを見ることの大切さを、以下の絵で考えてみましょう。

釣鐘と鉄球(近内悠太『世界は贈与でできている~資本主義の「すきま」を埋める倫理学』NewsPicksパブリッシングより)

これは、近内悠太著『世界は贈与でできている~資本主義の「すきま」を埋める倫理学』という本の中に出てくるお話です。左の絵は丸い釣鐘の底に重い鉄球が静止している状態、右の絵は伏せた釣鐘の上に鉄球が静止している状態だと考えてください。この2つの絵は、私たちが世界をどう見ているかを考えるヒントを提供してくれます。

左の鉄球はずっしりと安定しています。外から強い力が加わって釣鐘が揺れても、鉄球はすぐに元の位置に収まります。一方、右の鉄球は不安定です。今はたまたま静止していますが、わずかに揺れただけで鉄球はたちまち転がり落ちてしまいます。

私たちは世界を安定したものだと見ているでしょうか。それとも不安定なものだと見ているでしょうか。

この問いの意味を新幹線の運行ダイヤに例えて考えてみましょう。

新幹線は通常、遅れなく分刻みのダイヤで運行されています。時間通り正確に発着するのが当然だと考えている人は、5分でもダイヤが乱れるとイライラするでしょう。その人の見ている世界では、新幹線は分刻みに遅れず発着するものであり、5分の遅れは異常事態なのです。

しかし、東京駅だけでも毎日1,000本以上発着する新幹線が、あれだけの長距離を1分の遅れもなく走り続けるのは、その方が異常事態ではないでしょうか。そうした奇跡のような状態が保たれているのは、無数の鉄道関係者が、早朝から深夜まで、車両を整備し、線路や信号を点検し、車室を清掃し、過密ダイヤを守る努力を重ねているからです。もしその人々が働くことをやめたら、たちまちダイヤは乱れ、運行は停止します。

右の鉄球がかろうじて釣鐘の上にとどまっているのは、目に見えない様々な力が鉄球を支えているからです。その力の均衡が崩れれば、鉄球は釣鐘の上から転がり落ち、元の位置に戻ることはありません。

世界は無数の人々の見えない努力によって安定を保てているのです。こうした見えないところで社会を支えている人々をアンサング・ヒーローと言います。

会社も目に見えるヒーローだけでは動きません。目立たない人びとの存在とその努力や協力があって組織は円滑に機能します。アンサング・ヒーローの存在が見えなければ、適切なマネジメントは行われず、組織は原因不明の機能不全に陥ります。

見る意思を持つこと、多面的・立体的にに見ること、見えないものがあると考えること、見えないものを想像し、解釈し、判断すること、そしてアンサング・ヒーローに思いを馳せること。

良き望楼守であることは、良きマネージャーになるために欠かせない要素なのです。


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