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『資本主義の家の管理人』~市場の時代を乗り越える希望のマネジメント 第13回 第三章 働く 第十節 受け取ったものと受け渡すもの

第三章 働く

第十節 受け取ったものと受け渡すもの~バランスシートで考える働く意味


<第三章 構成>

第九節 中世のレンガ積み職人とメキシコの漁師
1.生産の三要素:土地、労働、資本
2.人間が働く理由とハンナ・アーレントの「労働(Labor)」、「仕事(Work)」、「活動(Action)」
3.働くを支えるもの:他者、未来、場所

第十節 受け取ったものと受け渡すもの~バランスシートで考える働く意味
1.貸方(Credit):働くために受け取ったもの
2.借方(Debit):未来の誰かに受け渡すもの
3.働く意欲とエネルギー:貸方と借方の循環と均衡

第十一節 人が育つ、人が飛び立つ 
1.根っことしての、土・水・光
2.翼としての、方位図・ルール・情報
3.デール・カーネギーの『人を動かす』


第十節 受け取ったものと受け渡すもの~バランスシートで考える働く意味


「受け取る人の手の動きに美しさに気づく人は、より多くのものを与えるだろう」

(ゲーテ『箴言と省察』より)

前節では、人間の労働を、非人間的なもの、必然的なもの、義務的なもの、生産的なもの、社会的なもの、に分類してみました。本節では、もう一つ別の視点から、人間が働くエネルギーがどのように生まれてくるのかを考えてみます。

動物は、水分や酸素の他にビタミン、タンパク質、炭水化物などのさまざまな栄養素を外部から補給し、それらを体内でエネルギーに変換して活動しています。

会社も、様々な栄養素を外部から取り入れ、それらをエネルギーに変換して生産活動を行っている点では同じであり、この栄養素とエネルギーの関係はバランスシート(貸借対照表)に示されています、バランスシートの右側の負債と資本が栄養素、左側の資産がエネルギーです。

会社のバランスシート

会社は、栄養素である資金を、負債(借入金)と資本(資本金)として調達し、その資金をエネルギー源である資産に変換し、資産を活用して生産活動を行っています。資産はただ保有しているだけでは価値を生まないので、人間の労働がそれを資本(資本金だけでなく、機械、設備、原材料、商品、技術やノウハウなどの物的・人的・知的資本)として活用することで生産活動のエネルギーを生み出します。

働くという人間の活動にもエネルギーが必要です。会社のバランスシートに置き換えた時、人間の労働は、どんな負債と資本があり、どのように資産に変換されてエネルギーを生み出しているのでしょうか。負債・資本と資産の循環という左右のバランスは、美しく保たれているでしょうか。

「働く」のバランスシートについて考えてみます。

1.貸方(Credit):働くために受け取ったもの

右側の資本と負債は、会計用語で貸方(Credit)と言います。貸方は会社の活動に必要な資金がどのように調達されたかを示すもので、借入(負債)と自己資本(資本金、内部留保)からなります。負債はいつか返済しなければならない資金、自己資本は返済しないでよい資金です(配当などの資本コストを負担する必要がありますが)。貸方の英語であるCreditには、「信用」や「信頼」という意味があるので、貸方は「信用されて託されたもの」、つまり、「働くことが期待され、信用されて託されたもの」と解釈することができます。

「働く」のバランスシートの貸方は、今の自分を形成したものすべてです。

例えば、他でもない自分の心と体はどのように手に入れたのでしょうか。体は両親に産んでもらい、バランスの取れた食事をとり、自ら努力して鍛えたり管理したりして作られ、心は自分自身の世界の見方や、育った家庭や周囲の仲間から寄せられた愛情や友情によってできています。良く働くために必要な、健全な心身(バランスシートの左側の資産)は、誰かから与えられたもの(負債)と自分の努力で獲得したもの(自己資本)によってできています。

知識や能力も同じです。自分で努力して獲得した知識や能力もあれば、恵まれた教育環境や適切な指導など、他者から与えられて手にしているものもあります。ビジネスマンであろうが、スポーツ選手であろうが、自分の能力は自分一人の努力で手にしたものではなく、さまざまな他者からの支援によって得られたものです。

目に見える人々からだけでなく、人類の歴史、先人の英知、法律や教育、治安や行政サービスなどの社会的資産や、水や空気、四季の食材や美しい景観などの自然の資産からもたくさんのものを受け取って、いまの自分はでき上っています。

ほとんどの場合、人間のバランスシートは自己資本より負債の方がはるかに大きいのです。他者から受け取った多くの負債が見えている人は、大きなバランスシートを持ち、自分で獲得したものが多いと考えている人のバランスシートは小さい。受け取った負債が見えなければ、自分のものは自分で獲得したのだから、それらを他者に奪われまいと懸命になります。バランスシートの小さい人ばかりだと、社会は殺伐とし窮屈なものになります。

負債は「いつか返さなければならないもの」です。この、「負債を負っている」、「負債を返済しなければ」という健全な感覚が、人間の働くエネルギーを生み出すのです。

バランスシートが大きければ、その分働くエネルギーは大きくなります。しかし、人間のバランスシートと会社のバランスシートが大きく違うのは、負債の貸し手が誰かがはっきりわからないということです。

私の負債を返すべき相手が誰かははっきりわからない。誰に何を返すかは私の自由であり、それを決めるのは私自身です。

ここに「人間の働く自由」という重要な問題が隠されています。

つまり、私が受け取った負債をどのような資産に換え、それを誰に返済するかは「私の自由」に委ねられているのです。何を目指して働くか、自分の労働の成果をどんな社会や未来の人々に受け渡していくかは、自分自身が決めればよい。どんな社会を目指すかは、働く一人ひとりの人に委ねられている、ということです。

2.借方(Debit):未来の誰かに受け渡すもの

左側の資産は借方(Debit)と言います。借方に現れる「資産」は、貸方で調達した資金が置き換わったもので、生産活動に必要となる会社の財産なのですが、借方の英語であるDebitは負債を意味します。資産なのに負債? これはいったいどういうことでしょう。

ここにも興味深い意味が隠れています。それは、バランスシートの借方の資産は、自分だけの財産ではなく、負債として誰かに返済すべきものだということです。会社法の定義に基づけば、返済すべき相手は株主ですが、現実の会社(会社法によってバイアスが掛かってしまった会社像の歪みを修正した会社)に資本を提供しているのは株主だけではありません。株主が提供しているのは資本金という「狭義の資本」です。

「広義の資本」は、物的資本や財務的資本(売掛金や貸付金、有価証券など)、人的資本、知的資本、組織的資本、そして会社の外の社会的資本と自然的資本も含む、生産活動に使用され「何か」を生み出す元手となるものすべてを含みます。それらの資本はどれも、「広義の資本」の出資者からDebit(負債)として預かっているのです。

何を生み出したいかによって必要となる資本は変わります。借方で受け取ったものをいかなる資産に転換し、それらを資本として活用して何を生み出そうとするか。大事なのは「生み出したい何か」であり、その「何か」によって借方の資産の構成は変わります。貸方から借方への転換も「何か」に基づいて自由に決められる。これも働く自由です。

例えば、「言語の壁を越えて人々が自由に交流する世界」が生み出したい「何か」であるなら、その実現に必要な広義の資本は、例えば辞書や語学学校、自動翻訳ツールなどです。辞書の編纂や出版、語学学校の運営、自動翻訳プログラムの開発には、紙や印刷技術、教室や設備、プログラミングの知識などを入手する資金が必要ですが、資金だけで「言語の壁のない世界」を作り出すことはできません。辞書の編纂や学校の運営やプログラミングには、人間が働くことによって積み上げてきた知識や経験が必要です。それら広義の資本が生み出す「言語の壁のない世界」が誰か知らない世界の人々やこれから生まれてくる人々に受け渡されていきます。

「世界中の情報を瞬時に入手できる世界」や「いつでもどこでも自由に買い物ができる世界」は、インターネットの技術やデータセンターの設備、パソコンやタブレットの普及などによってもたらされましたが、それらも、機械設備のインフラに加えて、人間の知識・技術、そして冷戦の終結とグローバル化の進展という社会背景など、過去から受け取った幅広い資本があればこそでした。

借方の資産には、(会計上は無視されている)これらすべての広義の資本が含まれています。そして、借方にあるものは財産であると同時にDebit=負債であるので、誰かに受け渡すことによって返済していかなければならないのです。

3.働く意欲とエネルギー:貸方と借方の循環と均衡

「働く」のバランスシートでは、負債の多くは誰から受け取ったものかが分からず、それらをどんな資産に換え、資本として活用し、生み出した価値(生産物とさらなる資本)を誰に受け渡していくかは、働く人の一人ひとりがそれぞれの価値観や思いによって決めるべきことです。次に受け取った人も、それが誰から与えられた財産(Debit=負債)なのかは分かりません。この、受け取ることと受け渡すことの循環が匿名性の中で行われていくのが、働くという行為の本質だと思います。

誰から受け取ったか分からないと言って、それらを自分の財産として抱え込んでしまえば、バランスシートの左右の均衡は失われます。受け取った負債は、一生懸命働いて価値を増やし、より大きな価値のある生産物と資本にして、また別の誰かに受け渡していく。その匿名性の下での循環によって、バランスシートの左右の均衡が保たれるのです。

「働く」のバランスシート

大きなバランスシートを頭に描き、貸方と借方のバランスを保つ。知らない誰かから受け取った負債を資産に換え、生産物とさらなる資本の価値を増やし、それを別の誰かに受け渡す。受け取った誰かは、その負債に価値を付加し、生み出した生産物と資本をまた知らない誰かに受け渡していく。この左右のバランスと循環が、働くエネルギーを創り出し、働く人に誇りを感じさせるのです。中世のレンガ職人とNASAの清掃員の寓話が教えているのは、まさにこのことでした。

冒頭のゲーテの言葉も、まさに受け取ったものと受け渡すものの循環とそのエネルギーについて述べたものです。「受け取る人の手の動きの美しさ」に気づくことによって、人は「さらに与えよう、与えたい」という気持ちをもつ。なんと力強く美しい言葉でしょうか。

そしてさらに踏み込んで解釈すると、この言葉からは一層深い意味が見えてきます。

原文は、英語に直訳すると"Much alms would be given if one had eyes to see what a beautiful picture a receiving hand makes."となりますが、この文章は「より多くのものを与える」という意味の他に、「より多くのものを受け取る」と解釈することも可能なのです。受け渡す人は、受け渡すという行為によって、自分自身がより多くのものを受け取っている。そのように解釈すると、このゲーテの言葉はより一層力強いメッセージを持つことになります。

「与える人は、より多くのものを手にする」。この美しいパラドックスこそ、働くという行為の本質であり価値なのだと思います。

そして「働く」をマネジメントするということは、働く人たちの貸方と借方の循環を創り出し、そこからエネルギーを引き出して、未来に向けて持続する価値を生み出していくことなのです。


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