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消えた家族と徴兵制

私が住む地区には、毎日ごみ収集に来る家族がいる。彼らは朝9時頃にやって来て、夕方6時頃に帰る。地区内のいくつかの場所に置かれた住民用のゴミ箱から手押し車でゴミを集積場まで運び、そこでゴミの分別を行う。この作業を、両親とティーンエイジの娘2人という4人家族が毎日行っている。

家族はみな気さくで、私もすぐに顔馴染みになった。特に上の娘、ヤミン(仮名)は誰とでもすぐに友達になる特技を持っており、この地区でも人気者である。彼女が乗る自転車の荷台には、ゴミ回収用の大きなボックスを積んであり、いつも鼻歌交じりで楽しそうに自転車を漕いでいた。彼女と路上で会うと、挨拶だけで終わることはなく、いつも少し言葉を交わすのが常だった。冗談が得意な彼女は、いつも私を笑わせてくれた。

そんな家族の姿を最近見なくなった。

「あの家族、軍から逃げたらしいよ」
という噂が耳に入ってきた。徴兵制で娘たちが軍に連れて行かれそうになり、それで家族で逃げたのだという。ミャンマーでは2月に徴兵制が発表されたのだ。

突然発表された徴兵制


2024年2月10日、突然徴兵制が軍事政権から発表された。それまで何度か徴兵制の噂があったのだのだ、すぐに立ち消えになった。しかし、今回は公式に発表されたのだ。

  • 徴兵対象者は、男性が18歳から35歳で、女性が18歳から27歳

  • エンジニアや医者などの専門職の場合、男性は45歳までで、女性は35歳まで

  • 兵役期間は一般は2年、専門職は3年、ただし、5年まで延長することもある

  • 徴兵人数は、1ヶ月に5000人、1年で6万人の予定

  • 徴兵を拒否した者は5年間の懲役

  • 徴兵を始めるのは4月の新年になってから(新年は4月17日)

この徴兵制が発表され、ミャンマー中が大騒ぎになった。今のミャンマー軍は普通の国の普通の軍隊ではない。日本人には想像すらできない残虐な軍で、殺す相手の多くは丸腰の一般住民だ。ミャンマー軍に入るということは、自分の家族や友人を殺すことだ。また、今の軍は士気も低く規律も崩壊したとても軍とは言えない集団だ。町や村を襲い、盗み、放火、虐殺が当たり前の犯罪者集団だ。

一部には、軍に入って戦いの訓練をし、軍内部で反乱を起こせばいいと言う人もいるが、そんなに甘くはない。ロシアの囚人兵のように最前線に送られ、逃げようとすると後ろから同じ兵士に撃たれる。または、隊列の一番前を丸腰で歩かされ、人間の盾として使われる。人間の盾は、少数民族地域で昔からミャンマー軍が地元住民を捕まえてよく使ってきた戦い方だ。

ミャンマー軍の兵士になることは、死刑判決を受けることと同じだ。いや、それよりもひどい。死ぬ前に、国民を標的とする殺人者になることを命じられるからだ。2月10日からミャンマーの若者たちがこの恐怖に捉えられてしまった。

ただちに始まった徴兵


徴兵が発表されたのは2月10日であり、実際に徴兵を始めるのはミャンマーの新年(4月17日)からと公式発表されていた。しかし、実際には異なっていた。ミャンマー軍が嘘を付くのはいつものことである。実際ヤンゴンでも、軍が若者たちを拉致しそのまま軍に連れていくことが2月から始まった。

徴兵対象より年を取っていても安心できない。50歳代でも徴兵された人がいる。それに、最初の徴兵では女性は含まれないと報道官が述べたが、実際には女性も連れて行かれたという報道がある。現場では何でもありであった。

徴兵方法には一定のルールが設けられていた。徴兵委員会というものが地域ごとに発足し、ミャンマーの行政区画の最小単位である区(ヤックエ)または村(チェーユワ・オースウッ)が招集単位となり、招集する者を公平な抽選で決めることになっている。ただし、それは表向きの話であり、実際には現場がやりたいように行っている。先に書いたように、屋外で若者を拉致することが各地で起きている。若者が拉致されても、家族が金を払うとその若者が解放される場合が多い。これは立派な身代金誘拐だが、誰も罰せられない。ミャンマーでは、軍は法に違反しても処罰されないという、不処罰の原則が何十年も続いてきた。そのため、軍はやりたい放題であった。

また、区の管理者が公平な抽選をせず、恣意的に選ぶケースが多い。賄賂を払った家族からは徴兵を免除し、賄賂を払えない貧しい家族から徴兵するといった、不正の温床にもなっている。クーデター前までは区の管理者は選挙で選ばれたが、クーデター後には軍に反発した多くの管理者が辞任し、その後は軍に協力的な人が新しい管理者となっていた。

ここで、徴兵法が発表されてからミャンマーで起きたことを列記してみたい。これらは独立系メディアが記事として出したものなので、全てが真実かはわからないが、多くは真実か真実に近いものだと思われる。

  • 海外脱出のためにパスポート発行オフィスに人が殺到し、2名圧死

  • 徴兵が決まった青年が自殺

  • 息子が徴兵されたことで、母が自殺

  • 孫が徴兵されたことで、祖母が自殺

  • 徴兵業務を行う区の管理者が殺害される

  • 息子3人とも徴兵された父親が、区の管理者に暴行で大怪我を負わす。親子は逃亡

  • 区の管理者が、徴兵リストから消去するために家族からワイロを請求

  • 本人が徴兵から逃げたことで家族を逮捕

  • ロヒンギャ人が徴兵され、戦場で死亡

  • 韓国語試験の申し込みで列に並んでいた若者たちが軍に拉致される

  • 工場地帯から若者が逃げ、工場が稼働できなくなった

  • 徴兵された家庭をサポートするという名目で、区内の各家庭から賄賂を要求

  • 軍が理由なく若者たちを拉致し、保釈金を払わない場合はそのまま軍に送る

  • 軍と戦う民族軍や国民防衛隊(PDF)に入る若者が増加

ここに書き出したものは、報道された中のごく一部の例だ。また、報道が全くされていないものも数多くある。たとえば、私の周りで起きた例だ。

大手銀行の若手社員が喫茶店でお茶を飲んでいたときに、軍がやってきて店にいた若者たち全員を拉致していった。翌日、その事実を知った銀行幹部が軍に掛け合って3人を解放してもらった。解放するのに金を払ったのかどうか、他の若者たちがどうなったかは不明だ。

こうしたことが連日ヤンゴンで起きるようになり、若者たちは眠れない夜を過ごすようになった。夜中に車が近くで止まる音が聞こえたり、電話の呼び出し音が鳴っただけで、胸の奥が締め付けられ、心臓がきしむ。明日がどうなるかを考えると心配で眠気など吹き飛んでしまう。気がつくと空が白み始めている。

逃げる若者


若者たちが選んだのはまず逃げることだった。パスポートを取得しようとパスポートセンターに人々が殺到した。マンダレーのパスポートセンターでは、女性2人が人の波に押しつぶされて死亡するという事故が起きた。タイ大使館ではビザを求める数千人の人たちで溢れかえった。日本大使館にも大勢の人たちがビザを求め、人数制限をすることとなった。

既にタイには不法入国も入れて600万ほどのミャンマー人が生活しているという。ミャンマーの人口は5,400万人ほどだから、1割以上の人が隣国に移ったという驚くべき数字だ。

また、ヤンゴンなどの大都市はミャンマーの中では比較的安全であり、仕事を得る可能性もあるため、地方の難民の避難場所にもなっている。その若者たちがヤンゴンにいると徴兵される恐れがあるため、戦いが続いている地方へ戻っていく。皮肉なことに、若者にとって危険な場所と安全な場所が逆転してしまった。今まで危険だった軍とレジスタンスが戦っている場所では、徴兵が行われていないからである。そうした地方では軍は支配力を失い、徴兵などできる状況ではない。

地方に逃げた若者は職を失ってしまうし、戦いに巻き込まれて命を落とす危険性もあるが、ミャンマー軍の兵士になるよりはずっとましであった。そうした若者の中には地元の国民防衛隊(PDF)や民族軍の兵士を希望する者も少なくなかった。

翻弄されるロヒンギャ人


2月10以降、徴兵に関する信じられないようなニュースが溢れていた。その中でも一番驚いたのが、ロヒンギャ人の徴兵だった。2017年にミャンマー軍がラカイン州に住んでいるロヒンギャ人に対して起こした軍事作戦では、70万人以上のロヒンギャ人が隣りのバングラディシュへ難民として逃れた。その過程で推定1万人以上のロヒンギャ人が殺され、数百の村が焼き尽くされた。

軍にとって(当時は多くのミャンマー人にとって)は、ロヒンギャ人はバングラディシュから違法に入国してきた外国人で、ミャンマー人ではなかったのだ。しかし、軍は「ミャンマー人ではない」ロヒンギャ人をミャンマー軍の兵士として徴兵したのだ。もちろん、徴兵法では徴兵の対象者はミャンマー人で、外国人は含まれていたない。銃を突きつけられたロヒンギャ人は従うしかなかった。

ラカイン州の難民キャンプには15万人ものロヒンギャ人が残っていたが、そのキャンプから強制的に兵士としてロヒンギャの1,000人もの若者たちを連れ去った。その後、前線で何人ものロヒンギャ人が死んでしまった。ミャンマー軍にとって法とは、利用するべきもので、自らを縛るものではない。軍はやりたい放題だ。彼らを罰する者は誰もいない。

なぜ今、徴兵なのか


この徴兵制に関する法が発布したのは2010年の軍事政権時代だった。当時でも、この徴兵制に対して国民は大きく動揺した。しかし、この法律が実行されることはなかった。実は、一般国民を徴兵することを一番恐れていたのは軍だった。ミャンマーでは軍は一種の秘密結社のような存在で、一般国民からは完全に隔離された存在だからだ。

軍では、将軍クラスを除くほとんどの一般将兵とその家族は基地内で生活している。基地には生活に必要なものは全て揃っていて、外の一般人との接触も限られたものだった。その結果、普通のミャンマー国民から大きく外れ、社会的な意識も道徳観も大きく異なる集団となった。

「国軍が母であり、国軍が父である」という軍のスローガンに彼らの考え方がよく現れている。ミャンマーという国を導くのは軍であり、軍がいなければ国は分裂してしまう。国を支配するのは軍の責務であると強く信じている。これを軍内部では徹底的に教え込まれ、軍人たちは一種の洗脳状態に置かれている。外の一般のミャンマー国民からすると、軍人は同じビルマ語を話していても、話がまったく通じない異民族、いや、もはや人間とは思えない存在だ。

また、軍の内部では階級が非常に重要だ。階級がひとつ違うだけで、王様と召使いほどの違いがある。それは軍務だけでなく、生活全てに影響していた。私の友人の父親は、基地内で運転手として働いていた。彼は将校ではなく一般兵だったため、彼よりずっと若い上官の靴を職務とは関係なしに毎日磨いていたという。

軍の階級の中で、将校以上は特権階級でいろいろな利益を得ることができ、それが軍への求心力となっていた。しかし、一般兵士は奴隷以下の存在だった。兵士は自分の考えを持たず、ロボットのように上官の命令に従う何でも行う存在でなければいけない。文字の読み書きができない、意思の疎通も難しいような人たちが兵士に多い。そういう人間でないと、ミャンマー軍の兵士として務まらないからだ。

ミャンマー軍という特殊な組織に一般のミャンマー人が兵士として入ってくるのを軍は恐れていた。一般人が組織に入ってくることで、組織の統一が乱される恐れがあるからだ。せっかくロボット化した兵士が自分の頭で考えるようになると組織が乱れてしまう。兵士の反乱が起きるかもしれない。それで、軍は今までずっと徴兵を避けてきたのだ。

ところが、そんなことを言っていられない事態になってきた。以前はミャンマー軍は東南アジア有数の軍事力を持っているとされ、兵員数もクーデター前までは30〜40万人いると見られていた。しかし、実際にははるかに少なかったのだ。

ミャンマー軍は秘密主義なので正確な数字は公表していないのだが、2023年にある研究者が試算したところ、戦闘部隊が7万人しかいないという数字が出てきた。支援部隊や補助部隊を入れても15万人程度だ。これは去年の数字なので、現在だともっと少なくなっているだろう。

軍は兵員不足を補うため、あらゆることをやってきた。警察官を兵士として使ったり、消防隊員まで送り込むようになった。また、兵士の妻たちを武装し基地の警備につかせた。予備役法を改正し、年を取った退役軍人を集めた。それでも兵士の数はどんどん減っていく。一般人が新たに入隊することなどほとんどいなかった。

それに対して、若者たちが自主的に立ち上げた国民防衛隊(PDF)は推測で10万人程度いるといわれている。また、軍と直接戦っている少数民族軍が合計10万人程度だとされている。すると、既に兵員数として軍はレジスタンス側よりもずっと少なくなっているのだ。

去年10月にシャン州北部で始まった1027作戦で大敗し、去年12月からラカイン州で始まったアラカン軍(AA)の攻勢でラカイン州の半分を失い、今年3月からのカチン軍(KIA)との戦いで、多くの拠点を失い、タイとの国境貿易で最も重要なミャワディを今まさに失おうとしている。どこの戦線でも、ミャンマー軍の兵士の数は大きく劣っていた。

なりふり構っていられなくなった。「誰でもいい、すぐに前線へ兵を送れ!」である。

徴兵がミャンマー国民に突きつけたもの


ミャンマーでは3年以上内戦状態が続いているが、場所によって様相が大きく異なる。前線にあたる地域では軍による無差別攻撃で、住民は難民となって山の中や他の地域に逃れるしかない。軍を追い出して解放区となった地域でも、時々、空軍のヘリコプターや戦闘機が無差別に爆弾を落とす。こうした地域では、目の前で命が失われる現実があるのだ。しかし、ヤンゴンやマンダレーではショッピングセンターが賑わい、レストランで食事をする人たちも多い。一見、平和な街に見える。

たしかに、国民防衛隊(PDF)の地下活動に加わったり、Facebookに軍の悪口を書くといったようなことをやらない限り、ヤンゴンで軍に捕まったり命を失う可能性は低かった。特に、親たちは子供に向かって、目立つようなことをしないよう諭していた。

ところが、徴兵制が発表されてから街の様相が一変する。今まで安全だったヤンゴンなどの大都市や、これまでレジスタンス活動があまり行われていなかったミャンマー中央部やエーヤーワディデルタなどの地方が逆に若者たちにとって危険になった。軍の統制が及ぶこうした地域を中心に積極的に徴兵が行われるようになったからだ。

今まで大人しくしていた若者が決断を迫られるようになった。それは、家族としての問題でもある。親としては何としても子供を逃がしたい。それに、子供が徴兵を拒否すると、その父親が兵士として連れて行かれることもあるし、家族が逮捕されることもある。今までのように、目立たないように過ごすことは難しくなった。国民が覚悟すること、それが軍の崩壊を早めることに繋がるだろう。

消えた家族


ゴミ収集の仕事をしていた家族だが、彼らが消えてから2週間ほどして連絡がついた。今は、解放区になっている村にいるという。村には知り合いがおり、そこで匿ってもらっている。今のところ、その村には軍の姿はないが、近くの村には時々軍の攻撃があるという。いつまでその村にいられるかわからない。

着の身着のままで逃げたため、所持金は少なかった。当座の役に立つよう、近所の人たちと一緒にいくばくかの金額を家族に送った。

ヤミンが楽しそうに自転車を漕ぐ姿を、そう遠くない日にまた見ることができると信じている。

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