今だから言える、だめだめライター時代の話。
ライター2年目に入ったばかりの頃。クラウドソーシングで、北欧雑貨についての記事執筆の案件に目が止まった。
見つけたときには、既に20件くらい応募があって、ライバルの多さに一瞬諦めようとした。
でも、募集要項を見てしまったら、やっぱり気になってしかたない。
当時はWebライターラボにも入会しておらず、営業もライティング知識も、すべて自己流。
それでも気づけば、提案文を送信していた。
今でも覚えている。
提案文のラストは
という一文で締めくくった。
このひとことが強烈だったみたい。まさかの採用の連絡に、ニヤニヤが止まらなかった。
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大好きな北欧雑貨の記事。2000文字くらいだったかな。悩むことなくサラサラ書いて「ドヤッ」と自信満々で提出した。
しかし、クライアントさんから返ってきたのは、意外な言葉だった。
最初の一文で、心臓がドクドク騒ぎ出す。
そのあと書かれていたのは
提案文でのやる気が全く感じられない
これでは、参考記事のただのリライトだ
こなれた文章を書こうとしているみたいだが、内容が薄い
といった内容だった。
もうね、頭をぶん殴られた気分。今回指摘されたことは、すべて私が見てみぬふりをしてきた内容だったから、ものすごく恥ずかしくて、何より悔しかった。
ライターの仕事に慣れてきて、営業したら採用される機会も増えたから、天狗になっていたのだ。
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今だから言える話。当時の私は、ライティングをひたすら「こなして」いた。
指定の文字数さえクリアすれば、よほどひどい文章じゃない限り、OKだって思ってた。
今思うと本当に「何考えてんだよ」って呆れるけど、事実だ。
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この記事は丸ごと書き直しになった。
次は、こなれた文章だなんて言われたくない。中身のある記事を書きたい。
頭から煙が出るんじゃないかってくらい、考えて、考えて……。もうね、24時間記事のことでいっぱいだった。
ネットの情報だけじゃ足りないと思って、図書館に北欧関連の本を借りに行ったりもした。
当時、作業に使っていたダイニングテーブルの上は資料やメモで、ぐっちゃぐちゃ。
書いても書いても、納得できる記事にならない。それでも、絶対に逃げたくなかった。
何とか完成して再提出するとき、送信ボタンを押すクリックがやけに重たかった気がする。
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クライアントさんからのメールを開くのが、ものすごく怖くて、カウントダウンしてから閉じていた目を開けた。
思わずパソコン画面の前でガッツポーズ。この日のことは、ずっと忘れない。
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あのとき、私は執筆と「向き合うこと」を知った。足りないものを伝えてくれたクライアントさんとの出会いがなければ、今私はライター界にいないかもしれない。感謝しかないです。ほんと。
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現在ライター5年目。当時からは想像できないくらい、毎日真剣に書いています。
▼毎日投稿チャレンジ中!昨日のnoteはこちら。
▼ライターとしての私を記録したマガジン。
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