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北島の巨大温帯林を巡る その②〜人類初到達当時のニュージーランドの景色は、現存するのか?〜

その①から続く

その①で述べた通り、ニュージーランドの気候の一番の特徴は、「年間を通して気温が大きく変動しない」点であるといえます。
そういった気候は、畜産に最適。
温暖な冬のおかげで、牧草が年中手に入るのに加え、冷涼な夏は暑さに弱い家畜を飼育する上で好都合であるためです。しかも、畜産は循環型の産業ですから、木材産業につきまとう「資源の枯渇」という問題を心配する必要はありません。

このことに気づいたヨーロッパ人たちは、ニュージーランドを”森の国”から”牧場の国”に改造することを思いつきます。
1814年、 オーストラリアからやってきた宣教師がノースランド(北島北端の地方)に数匹の乳牛を導入したことから始まった畜産業は、その後約100年かけてじわじわと成長してゆきました。

↑19世紀初頭のニュージーランドにおけるキリスト教の布教において、重要な役割を果たしたサミュエル・マスデン。初めてニュージーランドに家畜を持ち込んだ人物(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Samuel_marsden.jpgより引用)。

初期の畜産業は非常に小規模で、牧場の近くの集落で乳製品を自家消費するに過ぎなかったのですが、1880年代前半に冷凍技術が確立されると、その販路は瞬く間に拡大。ニュージーランド製のバターやチーズ、粉ミルクは、カヒカティア(ニュージーランド固有の針葉樹)の材でできた木箱に詰められ、オーストラリアやイギリス、アメリカへと輸出されるようになりました。
1930年代には、乳製品の輸出額はニュージーランドの総輸出高のうち最大の割合を占めるようになります。それ以降今日に至るまで、畜産業はニュージーランドの最重要産業となっているのです。

↑ニュージーランドの公園・森林保護区でよく見かけるマキ科の針葉樹、カヒカティア(Dacrycarpus dacrydiodes)。超高木層を構成する樹で、樹高は50mに達する。この樹は柔らかい材を産出するため、木箱の材料に適していた。それゆえ、19世紀末の乳製品輸出ラッシュの際、ニュージーランド全土でカヒカティアの伐採が行われ、木箱の製造が行われた。その影響で、現在カヒカティアの大木が生育する森は非常に貴重なものとなっている。

現在、ニュージーランドの国土面積の約4割を占める牧草地は、まさしくこの国の経済の要。毎年約110億ドルのGDPを創出しています。
しかし、これらの莫大な利益と引き換えに、ニュージーランドの大地はとてつもない面積の温帯雨林を失ってしまいました。

↑1900年、タラナキ地方の牧場。森を切り開いて作られたのがわかる。
Ref: 1/1-007882-G. Alexander Turnbull Library

そもそも畜産は、最も自然環境に負荷をかける産業であると言われています。動き回り、大量の水と餌を消費する家畜を育てるには、莫大な資源(土地、飼料、肥沃な土壌etc…)が必要となるためです。牛肉1kgを生産するには、大豆1kgを生産する場合と比べて90倍の土地と、20000倍(!)の水が必要、というのは有名な話。
こういった事情から、畜産が盛んな地域では、どうしても人間による土地の改変スピードが、自然環境の回復力を上回ってしまうのです。ローマ帝国時代の地中海沿岸など、畜産が原因で森林が壊滅してしまった例は、歴史を見渡すといくつも出てきます。

↑ニュージーランドの農村部は、ほぼほぼこんな感じの景色。ロトルア近郊にて。800年前にこの地には深い温帯雨林が広がっていたはずなのだが、今では景色が完全に改変されてしまっている。

僕は肉や乳製品を毎日のように消費しているので、畜産の良し悪しをこの場で論じるつもりはないし、その権利もありません。しかし、8000万年以上の歴史を持つ植生豊かな森の大半が、単調な草地と入れ替わってしまった現在のニュージーランドを見ると、畜産という産業が自然環境に与える影響の大きさを嫌でも実感してしまいます。

人類初到達当時のニュージーランドの景色は、現存するのか?

……ここまでが、ニュージーランドに人類が到達してから今日に至るまでの、森と人間の関わりの歴史です。マオリ時代の火入れ、ヨーロッパ人が築いた木材産業、そしてそれに続く畜産の発展という、”三重のダメージ”によって、800年前にこの国を覆っていたはずの温帯雨林は、殆ど消え去ってしまった。
これが、ニュージーランドの森林保護の歴史の現在地なのです。

↑ニュージーランドの農村部の景色は、殆ど”庭園化”している。タウランガ近郊の果樹園地帯。
両脇の生垣は日本のスギ。ポプラもところどころに。この近くに住む農園のおじさんは、「道路の脇に生えてるチェリーブロッサムは、君の故郷のサトウニシキだよ」と教えてくれた。佐藤錦って、山形のさくらんぼ園にしか生えていないものだと思ってた…。この写真に写っている植物は、すべて人の手によって管理されているもの。

…………ふむ、森マニアとしては、その"温帯雨林"がまだ現存しているのかどうかが気になります。
ニュージーランドの25倍の人口、20倍の人口密度をもつ日本ですら、白神山地や阿寒、四国山地核心部のような奥地には原生的な森が残っているのです。
開拓時代に猛スピードで自然の改変が進んだとはいえ、さすがに全部の森が一掃されたわけではないはず。

もしニュージーランドのどこかに、人類初到達当時のこの国の景色が保存された森が存在するなら、ぜひとも訪ねてみたいものです。
そう思って、学校の図書館の文献を読み漁り、ニュージーランドの温帯雨林の特質や植生、進化の歴史を調べてみることにしました。

↑ニュージーランドの森林減少を表した地図。今の所の森林率は24%。800年前と比較して60ポイントの減少。しかし、現在残っている天然林にしても、ほとんどは二次林化しており、人間がニュージーランドの開拓を始める前の原生的な姿を保った森林はほんの僅か。(new-zeland-s-permanent-forest-sink-initiative-experiences-functioning-carbon-foreより引用)

巨大温帯林

800年前、北島に漂着したマオリが見たと思われる温帯雨林は、森林生態学上では「Podocarp-broadleaf forest (訳すとマキ科針葉樹-広葉樹混交林、以下針広混交林とします)」と呼ばれます。
これは、世界でもニュージーランドの暖温帯域でしか成立しない森林タイプで、複雑な階層構造を持つことが特徴。

通常、温帯の森の階層構造は、草本層→低木層→中高木層→高木層(低→高)という4層で構成されるのですが、ニュージーランドの針広混交林ではこの上にもうひとつ、「超高木層(emergent layer)」が追加されるのです。多くの場合、この超高木層はマキ科の針葉樹(Podocarps)で構成されており、その樹高は50mを超えます。同じ温帯林でも、樹高30mで寸止めになる日本の広葉樹林とはスケールが全く違うのです。

↑ニュージーランドの針広混交林の階層構造。熱帯で成立するはずの森林構造が、温帯地域で成立している、という点がニュージーランドの針広混交林のすごいところなのである。
各階層ごとの構成樹種は、おおむね超高木層(〜50m)がマキ科の針葉樹、高木層(〜30m)がクスノキ科またはクノニア科の常緑広葉樹となっている。日本の北海道で見られる針広混交林(モミ属、トウヒ属とミズナラ等の広葉樹が高木層を構成する)とは違って、ニュージーランドの森では針葉樹と広葉樹が立体的に棲み分けを行う。

通常、こういった巨大階層構造は熱帯雨林で出現しますから、温帯であるにも関わらず超高木層を持つニュージーランドの森は、世界的に見ても特異な森林タイプであると言えます。これは8000万年前、ニュージーランドが熱帯のゴンドワナ大陸と繋がっていた名残だとされています。
大陸移動のいたずらで、中生代の地球の植生に近い森が未だに残っている土地として、ニュージーランドは植物進化の研究者からも注目されているのです。

↑世界の森の林冠の高さ(canopy height)を色分けで表現した地図。林冠の高さが40mを超える地域(濃い赤で塗られている地域、見えにくいので矢印で示しています)は、赤道直下を除くとオーストラリア南東部、ニュージーランド、アメリカ西海岸北部のみ。”巨大温帯林”は、地球広しと言えど限られた地域でしか見られないのである。(tree-height-mapsより引用)

超高木層が発達する森は、いわば地球上で最も樹木が巨大化する土地。これだけ階層構造が複雑であれば、当然ながら植生の複雑さも格段に増すはず。まさに「巨大温帯林」という言葉が似合います。森マニア・樹木マニアとして、そんな場所を放っておくわけにはいきません。

調べれば調べるほど、森の実物を見たくてウズウズしてくるので、早速森の捜索に取り掛かりました。

やっぱり森が無い

前述の通り針広混交林は、ニュージーランドの暖温帯で成立します。具体的な分布域は、下の地図(↓)で黄緑色に塗られた範囲。
前回訪ねたナンキョクブナ林は冷温帯で成立するため、そちらと針広混交林は気候的に対の関係であると言えます。ちょうど、日本の暖温帯の照葉樹林と、冷温帯の落葉広葉樹林のような感じ。

↑ニュージーランドの植生マップ。黄緑色が針広混交林(Podocarp-broadleaf forest )が、青色はナンキョクブナ林(beech forest)が、赤色が亜熱帯林(Kauri-broadleaf forest)が成立する地域。

……よくよく潜在植生マップを見てみると、僕が住んでいるタウランガ周辺も、針広混交林の成立エリアに入っているではないか。現在のタウランガ近郊で見られるものといえば専らキウイフルーツやアボガドの果樹園なので、開拓時代以前のこの地に巨大温帯林が広がっていたなんて、全く想像がつきませんでした。

↑タウランガ市街の西側の山岳地帯を擁する、カイマイ=ママク森林公園(Kaimai Mamaku Forest Park)。タウランガ近郊では最大の森林保護区。

官民一体となって自然保護に取り組んでいるニュージーランドでは、国土の至る所に森林保護区(forest park)が設置されています。タウランガ近郊も例外ではなく、比較的街に近いところにも大小様々な森林保護区と、その中を巡るトレッキングコースが整備されているのです。試しに、タウランガ周辺のトレッキングコースをインターネットで検索してみると、「〜walk along old-growth podocarp-broadleaf forest (原生的な針広混交林を歩く)」という魅惑的な文言を発見‼︎

灯台下暗し。近場の森林保護区をしらみつぶしに訪ねていけば、案外簡単に原生的な針広混交林に出会えるのではないか。そう思って、タウランガ周辺の森をぐるぐる回ってみたのですが、結局のところこの試みは失敗に終わります。

↑Department of conservation(自然保護局)のサイトにアクセスすると、タウランガ近郊で原生的な針広混交林が観察できる遊歩道がいくつも見つかった。よだれが出そうになる言葉がいっぱい並んでおる。

いざ森林保護区に行ってみると、そこでみられたのは木生シダ(tree fern)や、ひょろひょろとした若い常緑広葉樹が生えた貧弱な植生。特に、木生シダ群落は大規模なものが至るところで見られました。

↑ニュージーランドを代表する木生シダ、ブラックツリーファーン、マオリ語名ママク(Sphaeropteris medullaris)。ロトルア近郊の森林保護区にて。シダ植物は、年間を通して温暖かつ湿潤な気候を好む。つまり、ニュージーランドの気候が大好き。ほとんど”樹”と呼んで差し支えないこの外見は、マイルドな気候が年間を通して保証されたニュージーランドならではのものなのである。

ニュージーランドはシダの国。夏と冬の気温差が小さく、年中一定して雨が降る穏やかな気候が、この地に生えるシダを劇的に巨大化させてしまうのです。北島の低地に多いブラックツリーファーン(Sphaeropteris medullaris)は、樹高(?)20mに達し、世界最大のシダ植物の一つとされています。
巨大なシダがわさわさと茂る光景は、ニュージーランドの自然の象徴として捉えられており、海外からの観光客を惹きつけてやみません。マオリ文化と深く関わっていることもあって、現在でもシダの絵柄はオールブラックスやニュージーランド航空のロゴマークに用いられています。

↑日照条件が良い場所を好む木生シダは、林縁や荒地に多い。マオリは、シダの葉や根茎を食用・薬用に、木生シダの幹は建材に用いていた。


↑有名なニュージーランド航空のロゴ。ニュージーランド在来のシダの葉の紋様は、19世紀半ばごろから芸術品やロゴマークのモチーフとされてきた。ビクトリア朝時代のイギリス(1837年〜1901年)では、”シダ熱(pteriodomania)と呼ばれる芸術ブームが巻き起こっており、オークランドの工芸職人たちのあいだでシダ紋様をモチーフにした寄木細工を作ることが流行した。イギリス本国に輸出された寄木細工は、高値で取引されていたとのこと。

ニュージーランド特有の豊かなシダ植物相が、この国のアイデンティティの礎になっていることは紛れもない事実なのですが、実際のところ広大な木生シダ群落は森林破壊の歴史の証明でもあります。

そもそも木生シダは、日照条件の良い痩せ地を好む先駆植物。既存の森が破壊された直後の裸地が彼らの主なテリトリーです。
つまり、どこもかしこも木生シダ、というタウランガ近郊の農村風景は、人間がこの地の植生を大きく改変した過去を暗示しているのです。広大な面積の原生林が、すでに消え去っているであろうことは容易に想像がつきます。

↑ネットで「樹木好きのお気に入り」と宣伝されていたトレッキングコース。カマヒ(Pterophylla racemosa)というニュージーランド固有の常緑広葉樹樹が優占している。この写真内では、ひょろひょろとしたカマヒしか写っておらず、原生的な森という雰囲気はあまり無い。

ネットで「原生的な針広混交林が見られる」と謳われていたカイマイ山脈(タウランガ市街の西側の山脈)の遊歩道に行ってみても、そこに広がっていたのは常緑広葉樹の若木ばかりが茂った、なんとも貧相なブッシュでした。超高木にあたる針葉樹の巨木もあるにはあるのですが、数は少なく、数十メートルおきに1本あるぐらい。「原生的な森」と呼べるような森林景観ではありません。

あとでわかったのですが、カイマイ山脈では19世紀から針葉樹の択伐が行われていたとのこと。港町タウランガに近いという地の利が、原生林での林業を加速させたのです。その過程で、針広混交林の重要パーツである超高木層が取り払われてしまい、現在のような味気ない植生だけが残された、というわけ。

つまるところ、タウランガ近郊の森林保護区内に広がっている森は殆どが二次林、人為的な影響を強く受けた森なのです。

その③に続く


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