湊
整理整頓しないと分からなくなっちゃう私のため。
つぶやいたものを忘れないように。
私が文字にしたショートショートをまとめています。
久しぶりに旧友と笑い合い、あっという間に帰路に着いた。三十分前に飲んだサワーのアルコールがまだ残っている気がする。 歩きながら、今は春とも夏ともいえぬ曖昧な時期だと思った。立夏はまだ少し先で、夜風は涼しく心地がよい。 旧友との久しぶりの再会を果たしたというのに、私の言うことは以前とちっとも変わらなかった。 『彼氏ができない!』 何年も同じことを嘆く私。 そんな私を見て、彼女はマッチングアプリを勧めてくれた。 正直ノリ気ではなかった。 アプリの人に自分を売
人から言われるほどいろいろ考えすぎてしまう性格なので、できるだけ素直に、良くも悪くも肌感覚深度2mmのところで快く関わりたい。
んふふ、今何気に気付いちゃったんですけど、私かなり自分の文章が好きです!笑 んわー大胆!笑 でもこれかなりホントのことで、好きな推しグッズみたいに集めたり並べたり読み返したりするの好き笑 ちょっと恥ずかしいけど呟きってことで笑 ラフに見てってね!☺️ウェルカム〜!𓇼𓆉
1. 散る。 彼の写真を月に翳してみる。 朧気にも、その心を見透かせないかと考えていた。 誰でも包み込んでしまうような優しい雰囲気に小さじ一杯の哀愁。周囲の人を一目で惹き付けてしまう彼。 真面目で寡黙。容姿端麗だが伏し目がちな彼。 眼鏡の奥の彼の眼は、よく見ると微かに昏い。 水底のように。宇宙のように。 見れば見るほど深く、そこには未知の世界が広がっていた。 「…。」 月の光が眩しい。 結局その日、彼の心やその未知に潜む何かを見ることは叶わなかっ
誰かに渡すプレゼントを選ぶ時間とか、そのプレゼントをどうやってラッピングして渡そうかなって考えてる時間がかなりすき
どうしてか、最近生まれた新しい言葉は、簡単には“言葉”として容認されない風潮があるように思える。 誤解を避けるために先に記すが、私は決して「エモい」のような“新しい言葉”を、皆が皆全員受け入れるべきだ、率先して使うべきだと主張したいわけではない。むしろ、各個人が好きな言葉を好きなだけ遣って、その人なりの表現を自由にすべきだと思う。 しかし(個人的に)悲しいことに、新しい言葉を頑なに受け入れず拒否したり見下したりする人がいる。その人自身が「これこそが言葉である」と認め
どこで誰が創作した音楽・言葉でも、音楽や言葉の前ではどれも同価値で、平等であるべきだと思う。
「逃げてもいい」という言葉にずっと疑問を抱いていたけれど、きっとその後に続くのは「まだ希望はあるから」なのかなと、勝手に思いました。 一見なんの根拠もないような「大丈夫」や「できるよ」という言葉。そばに居てくれる人の「諦めないで」や「頑張れ」を、もっと自分の力にしていきたいです。
一寸先は闇だと、ある先人は言った。 未だ来ない世界を闇と称した先人。その先人が生きた世界の延長線上に、私たちは立っている。 1. 春の砦 修了式を終えクラス写真を撮ったあと、クラスメートたちは早々に教室を去っていった。高校生活最後の春休みというイベントを前に、みんな浮足立っていたのだと思う。 一時間も経つと、教室は私とサキだけの砦になった。 サキは、高校に入ってから出会った友人である。明るく聡明で楽しいことが好きな、見るからに華やかな少女だ。出席番号が私とサ
私はよく寝る直前に寂しくなると、相手に迷惑をかける申し訳なさを感じつつ、「おやすみ」をひっそりとメッセージに送ります。 「おやすみ」という挨拶には、 「あなたが今夜安らかに眠れますように」というささやかな願いが込められていると思っています(少なくとも私はその気持ちを込めて送っています)。 「おやすみ」は、自分が誰かに渡せたら密かに嬉しくて(おやすみと言える関係性をもつ人がいてくれると感じられるため)。逆に誰かから貰えば上記のこともありとても安心して、すこし後ろめたさも感じ
おやすみ世界。 世界は今日も色んなものに溢れていた。 色んな音にも色にも溢れていた。 今も世界のどこかでは木漏れ日や青空が水面に映え、吹き込む爽やかな風が紅茶の水面を揺らすの。 あなたにとって快適な雰囲気につつまれて、ゆっくり休息でき、新しい朝を迎えられますように。
突然ですが、私の頭の中には異なる性格や思考をもった4人の人格が存在しています。 冒頭のイメージと私の特性 私の頭の中には、異なる性格や思考をもった4人の人格が存在しています。大事なことなので2回言いました(?)。 細かく解説すると、頭の中に男性2人、女性2人がいるような感覚です。 各々が得意な状況において表面上に現れ、私の言動を統制したり、頭の中でアドバイスをくれたり励ましてくれたりします。よくアニメでみる“脳内会議”みたいなのを想像すると分かりやすいかも。
私にはずっと、当たり前のことですが、「私は誰の一番にもなれない」という傷みがあります。 でもふと、私の事を一番に想ってくれる人がいるのならば、それは私自身だと思いました。 【大切な人を大切にする。大切にしてくれる人を大切にする。】 その大切な人に私も入れたらいいなと思う夜でした。
1.どうかな。 「休んでいる時間は、このトラウマを解決するんでしょうか。」 そう訊くと医師はすこし困ったような、どこか哀れんでいるような、そんな表情でこちらを見た。 2.ふうん。 昨年無事に大学を卒業して職に就いた私だったが、たったの三ヶ月で休職を余儀なくされた。 めまいだ。職場に向かおうとすると途端にめまいがして胸が苦しくなり、その場に蹲ってしまう。職場を目の前にしてあと百メートルが歩けなかった。 その後心療内科を受診した私は“適応障害”と診断された。
はじめまして。湊(みなと)といいます。 「湊」という字から港を想像する人がいるかもしれません。湊は船着き場の意味を持ち、人やものが集まる、活気ある様子を連想させるようです。 また私は、しんとした夜の海や風の穏やかな静かな湖など、“水を連想させるもの“と音楽が好きです。このことをヒントに、水に関する部首である「氵(さんずい)」と「音楽を“奏でる”」という字が組み合わさった「湊」という字をニックネームとして使わせて頂きました。 温故知新を大切にしようと日々生きています。