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ブログ「My blessed days」

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仕事のこと、子どもたちの日々のこと、私自身のことなどを書いています。
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#グリーフケア

時間が経って分かること

時間が経って分かること

時間だけが唯一の解決方法であることというのは
これだけ文明も科学も発達しても、未だにたくさんあると思います。

悲しみもその一つで、長い長い時間をかけて、鍾乳洞が出来上がっていくように、流した涙の積み重ねが、悲しみを知る前には想像もつかなかった広く優しい新境地へと私たちを連れていってくれるように思います。

この時間を早送りできたらどれだけ楽だろう
この時間を一足飛びして悲しみを乗り越えた世界に行

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「悲しみ」を抱きしめる

「悲しみ」を抱きしめる

自分の悲しみを他の誰かの悲しみと比較したことはあるだろうか。

私は6歳で父を失った時、「ひとり親世帯」にはなったものの、当時祖父は事業を営んでいたため生活には困らずに暮らしていくことができた。

そのため私が父の死で精神的な苦労は多少あっても、物理的な苦労を感じたことは特になく、子ども時代を送ることができたものの、そのことが私にとっての罪悪感にもなっていった。

ひとり親になった人たちは悲しいだ

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導かれて

導かれて

今日は新しい御縁がありました。

人と人が出会うとき、私の背後にいるご先祖様や大切な故人が私の後ろで働いてくれているのを強く感じることがあります。

雪の寒い朝の始まりでしたが、
お寺を出ると春の優しい光に包まれて、まるで色んな存在に抱きしめてもらっている気がしました。

亡き人たちの導きに感謝🙏

山口春奈

「たわし」と祖父

「たわし」と祖父

キッチンで洗い物を終えてシンクをたわしで洗っている時、
私はいつも亡くなった母方の祖父を思い出す。

私は自分の父が亡くなった6歳から、実家を出る15歳までは母方の祖父母と一つ屋根の下で暮らしてきた。

いかにも家長、という風格なのだけどとても優しく、祖父には本当にかわいがってもらった。

祖父は男ばかりの10人兄弟の真ん中で、農家の家から飛び出し、事業を始めた人だった。

そんな祖父は月初めには

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おばあちゃんとの最後の思い出

おばあちゃんとの最後の思い出

私が6歳から一緒に住んでいたおばあちゃんは
10年前、私が長男を出産する3週間前に亡くなりました。

初めての出産前、そして
新幹線で遠方までいかなければならない
ということもあり、
最後のお別れに行けませんでした。

亡くなるちょうどその時、
家族が電話をかけて来てくれたお陰で、
私はスマホ越しに
「おばあちゃん、ありがとう、ゆっくり休んでね」
となんとか伝えることはできました。

そんなおばあ

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三十三回忌に寄せて

三十三回忌に寄せて

お父さんへ

元気ですか。
今生きていたら、65歳?かな。
私は38歳になりました。もう私の記憶の中のお父さんよりも6歳も年上になりましたよ。

32年前、お父さんが天国へ行ったことを聞かされた日の朝のこと、今でもたまに思い出します。

お父さんの最後のお別れの時に私はお父さんにピアノを弾きました。
お父さんは聴こえていましたか?
間違えて繰り返しを一回多く弾いてしまった、バッハのメヌエットとジー

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悲しみの根底にあるものに気づく

悲しみの根底にあるものに気づく

お久しぶりです。
讃美歌の作品集のリリースや学期末が重なり、なかなか更新ができていませんでした。みなさんお元気でしょうか?

私は先日、一足早く今年の歌い納めも終わり、
来年に向けての準備をゆっくりと始めています。

色々なことを書きたいんですが、
最近はまだ自分の中で色々と整理をしている段階で、うまく言葉にならないのですが、先日ある映画を一人で見に行きました。

「グリーフケアの時代に」という映

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悲しみと喜びはいつもセット。

悲しみと喜びはいつもセット。

亡くなった父の字はタイプライターかのような、几帳面な字で、
この字を見れば、どんな人かすぐわかるような、そんな本人を映し出すような字だ。

私が父を語るとき、それは私の数少ない記憶や、数少ない形見から語っている。それは、どこまで真実で、どこまでが私の頭の中で作り上げた父なのか、その境界線は、年を重ねるごとに曖昧になっていく。

父の最後の姿を見ていない私にとって、そもそも父が亡くなってしまったかど

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