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ブログ「My blessed days」

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仕事のこと、子どもたちの日々のこと、私自身のことなどを書いています。
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#思い出

くまちゃんとの思い出

くまちゃんとの思い出

まだ父を失ってから日も浅かった小学生低学年の頃、叔父の友人が遊びに来た時にくまのぬいぐるみをもらった。

そのぬいぐるみは、ちょっとざらざらした硬くて短いこげ茶色の毛をしていて、つぶらな真っ黒い目、そして首に赤いチェックのリボンを巻いていた。

肌触りが特にいいというわけではなかったけれど、ちょうどよいサイズ感のそのぬいぐるみは、いつしか私の枕元で必ず一緒に寝る相棒になった。

その子はなんの捻り

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花よりベーグル

花よりベーグル

白詰草を咲いているのを見ると必ず一度はやってしまう。

今日は家の近くで白詰草がきれいに咲いているスポットを見つけたので寄り道して娘にも作り方を教えてあげた。

彼女が嬉しそうに私のところへ来て、

首飾りを作って!

と言うので、

できるだけこれから咲くものは残しながら、

せっせと首飾りを作った。

嬉しそうに着けたかと思ったら

3分ほどでおやつに買ったベーグルに飛びついて

置いてけぼり

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ただいま

ただいま

富山から東京に戻ってきました。

一体春はどこへやら?という陽気に腰を抜かしそうになりました。笑

富山から東京へ帰る前の朝の数時間は、当時住んでいたお家の近くの毎日通った公園など、懐かしの場所で大きくなった子どもたちとひと遊びしてから帰りました。

ライブに来ていただいたみなさん、本当にありがとうございました。

パーカッションのヤマダベンさんとも、また一緒にできる日を楽しみに、作品作りも引き続

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骨董屋のお爺さん

骨董屋のお爺さん

大学の卒業と同時にこれまで4年間住んでいた大学寮を出て、
私は初めての一人暮らしを始めた。

当時のアパートは駅から10分ほど。
小さな商店街を抜けた先の静かな住宅街にあった。

毎日通る商店街の突き当りの方には、
高齢のお爺さんが一人で営む露店の骨董屋があった。
仕事終わりに商店街にあるコンビニで100円のチョコレートを買ったあと、店の目の前で裸電球一つで営業していたその骨董屋は
何か不思議な魅

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我が家の「星の王子さま」

我が家の「星の王子さま」

伯父夫婦が関西の方から仕事のついでに少しだけ我が家に遊びにきた。
現在の伯父の奥さんはなんと私の年下(!)だ。

初め話を聞いた時は正直腰を抜かしそうになったが、伯父らしいと言えば非常に伯父らしく、妙に納得もした。
今では二人はとてもお似合いの夫婦で、見ていて違和感もない。

伯父は、私にとって家族の中で感性が一番近く、私の「考え」というよりは「感覚」をわかってくれる人だ。

たくさん喧嘩もしてき

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「たわし」と祖父

「たわし」と祖父

キッチンで洗い物を終えてシンクをたわしで洗っている時、
私はいつも亡くなった母方の祖父を思い出す。

私は自分の父が亡くなった6歳から、実家を出る15歳までは母方の祖父母と一つ屋根の下で暮らしてきた。

いかにも家長、という風格なのだけどとても優しく、祖父には本当にかわいがってもらった。

祖父は男ばかりの10人兄弟の真ん中で、農家の家から飛び出し、事業を始めた人だった。

そんな祖父は月初めには

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おばあちゃんとの最後の思い出

おばあちゃんとの最後の思い出

私が6歳から一緒に住んでいたおばあちゃんは
10年前、私が長男を出産する3週間前に亡くなりました。

初めての出産前、そして
新幹線で遠方までいかなければならない
ということもあり、
最後のお別れに行けませんでした。

亡くなるちょうどその時、
家族が電話をかけて来てくれたお陰で、
私はスマホ越しに
「おばあちゃん、ありがとう、ゆっくり休んでね」
となんとか伝えることはできました。

そんなおばあ

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最後に残る人は。

最後に残る人は。

2008年にメジャーデビューした頃、私は右も左も分からない、大学卒業したての21歳でした。

そんな私たちにはデビュー当時「マネージャー」というものがいなかったので、
レコード会社のアーティスト担当、という部署の人が私たちのマネージャー代わりになってくれました。

まぁまぁ今思い出しても心臓が縮むほど怖い人で(笑)

でも、私に社会人のいろはを叩き込んでくれたのは、間違いなくこの人だったと思ってい

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思い出のテーブル

思い出のテーブル

この春は、いつにも増して子どもたちとすごくたくさん笑った。

一人になりたいと切望していた数年前を経て、みんながそれぞれ学校や幼稚園に行くようになり、
「ただ一緒に過ごす」ことがイベントになるような年齢になってきた。

もちろん、四六時中子どもたちといるということは簡単なことではない。

子どもたちが学校や幼稚園へ通っているときにこなしているルーティンはできない日もたくさんあったし、
家はいつもよ

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写真と過去

写真と過去

実家から送られてきたアルバムの写真を整理している。
両親の子ども時代のものから、今の自分の子どもたちの分まで。
ざっと60年分くらいの記憶を土曜の午後に一気に振り返った。

母は「あんたの七五三は七歳の時だけやったはずやで。」とついこの前話した電話で言っていたけど、写真館で撮った3歳の七五三の写真が出てきた。

人の記憶は、曖昧だ。
写真の中の女の子は、今の私の3歳の娘と瓜二つだった。

30年以

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「しあわせのハンバーグ」

「しあわせのハンバーグ」

私は小さい頃からお母さんのハンバーグが大好きだった。

噛むとジュワッとお肉と玉ねぎのおいしさが溢れ出して、ついもう一個、もう一個と手が出る。

子どもサイズのころん、とした、ぷっくりかわいいハンバーグ。

それは、私にとって「しあわせのハンバーグ」だった。

マヨネーズ、ケチャップ、お醤油、ウスターソースを混ぜて作る家のソースも大好きだった。このソースがある時ばかりは私も苦手だったブロッコリーや

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怒りの奥に見つけたもの。

怒りの奥に見つけたもの。

小学生の頃から周りに「生き急いでいる」と言われてきた私は、20年以上経った今もまだ急ぎ、そして焦っている。

そしてその焦りからくる「イライラ」は、年を追うごとにどんどん大きくなり、なぜ私はこんなにもイライラしているのか、自分で一度ちゃんと向き合って突き止めてみたいと思い、こうして今少しずつ言葉にしてみている。

そもそも、私はなぜ「生き急ぐ」ようになったのか。今回改めて自分のことを振り返ってみた

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一年前の今日のこと。

一年前の今日のこと。

一年前のちょうど今頃、「Dears brain」というウェディング事業をされている会社の15周年のお祝いに歌いに行かせてもらいました。

Dewとして歌うのはこれが本当に久々でした。
今思うとこれが活動再開の一つのきっかけになったようにも思います。

この日歌わせてもらってからしばらくしたある日、悠から

「今年Carol Nightせえへん?」

とメールをもらって、今に至ります。

私はお母さ

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